その時、歴史は動いた~人間は尊敬すべきものだ~ 全国水平社・差別との闘いを観て
先日、放送された「その時歴史が動いた」を見ました。
この記事のなかでは歴史用語としての「穢多(エタ)」や「非人」等という言葉を使用しています。これら番組内で使われていた言葉なので不適切な表現かもしれないのですが感想・私見を述べる上で必要なので使わせて頂きます。
副題は「人間は尊敬すべきものだ 全国水平社・差別との闘い」でした。
中学の時に歴史で水平社宣言というのをただ単にその意味は全く知りませんでしたが丸暗記した覚えがあります。今回番組をみて、その成り立ちがよく分かりました。私は人権を守る職業に就きたいと思っているので「古くから人々は他人との違いを見つけては自らを高い位置においてきました。これに対し今から86年前、人間は誰もが尊敬すべき存在であるという水平社宣言をした男が西光万吉でした」というナレーションには深く感銘しました。
江戸時代に士・農・工・商の枠にはまらない更に格下として穢多・非人と呼ばれた人達は長い間、大変な差別に見舞われてきました。「血が汚れている」と言われた理由の一つは動物の屠殺を生業としていたところからきているそうです。私見ですが戦国武将は多くの大量殺戮をしましたが勝てば官軍で英雄です。戦争は人を沢山殺した人が英雄となりますが今はどんなに悪いことをした人でも私的に制裁すれば無期懲役か死刑に処されます。漫画デスノートでは主人公・夜神月が悪に対し自らが犯罪者の名前をデスノートに書くことで裁いていくというストーリーでした。何れにしても世が世なら人を殺した人が英雄です。戦国大名だけでなく海外に目を向けても英雄と呼ばれているナポレオンやアレキサンダーなども武功によって讃えられています。それに対し屠殺を生業としていた人達は人間を殺めたわけではありません。それを差別するというのは筋が通っていないのではないかと思いました。
調べてみますと、このエタ非人というカテゴリーに入れられたのは徳川幕府250年あまりの士・農・工・商・エタ非民から端を発しているようです。ということは幕府に準じなかった準じられなかった人の子孫という可能性もあるのではないでしょうか武士の世界では勝てば官軍、負ければ賊軍、更に敗走すれば落ち武者となります。落ち武者は展望が利いて敵が責めてくる様子が見える高い土地に居を構えます。山で生きていくためにはキノコを食べたりイノシシを食べたり兎を狩ったりと獣を食べることは必須です。そして冬の寒い夜などは気温が下がりますので動物を食べ、その毛皮を着なければ生活出来なかったと思います。下の村々に行きたくても落ち武者狩りにあうかもしれません。ですから落ち武者達は成るべく目立たないように生活し自分の子供達にも自らの出自を敢えて伝えなかったのではないでしょうか。源氏政権の鎌倉時代にもエタという言葉がでてきますが、そんな時代に「自分は平氏という名家である」と言うのは源氏の世の中で言えば「殺してください」といっているようなものです。よって親は子に自分たちの素性を隠します。もしバレれば、それは死を意味するからです。
私見なのですが結論から言うと被差別部落民の人たちの祖先は落ち武者であった、つまり元々は名家の人であったという可能性もあると考えます。しかし素性を分からないと周囲の人々から不気味な人達だと思われ、それが長い年月をへてエタ非人という目で見られるようになってしまったのではないでしょうか。
アイヌの人たちは言語を持っていましたが文字は持っていませんでした。アメリカのインディアンも(ネイティブアメリカン)同じです。エタ非人扱いされた被差別部落民の人たちも敢えて記述を残さなかったのではないでしょうか。その証拠を握られたら命はありません。つまり隠れキリシタンのようにならざるを得なかったのです。隠れキリシタンは十字架を隠し持っていたと思います。それがキリストに対する忠誠心だったからです。しかし被差別部落民の人たちは信仰しているわけではありませんので、そうした象徴もなかったのではないでしょうか。つまり正体が知れたら殺されるという代償があることから自分たちが何者であるのか隠し通したというのが私の推測です。