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お笑いブームの変遷

落語は江戸時代を起源とします。
関西では上方落語、江戸では江戸落語が発展しました。両者の違うところは江戸落語は扇子と手ぬぐいだけなのに対し上方落語は噺をしている途中に三味線の音色や小道具が使われたりします。見た目で一番違うのは上方は見台(机)があり拍子木がありますが江戸落語は座布団と、その座布団の前にお茶の入った湯飲みが置かれている点です。江戸(東京)はシンプルで噺のみで客を湧かせ上方は見台を拍子木で叩いて音を出したり三味線を使ったりとにぎやかにするのが気質の違いといったところでしょうか。

さて、いろものという言葉があります。これは落語の出演者を黒字で書いたのに対し漫才・奇術(マジック)・曲芸などを赤字で書いた事からいろものという言葉が出来たようです。とうことは落語が本流で今で云うMr.マリックや傘回しの染めの輔・染め太郎さん(故人を含む)あるいはやすきよ漫才などは亜流とされたようです。しかし関西に吉本興業という会社組織ができると漫才が主流になっていきます。

いろものと呼ばれていた演目はMr.マリックの登場でマジックは超魔術となりました。他方、バラエティ番組では1950年頃からお笑い三人組光子の窓・大人の漫画(クレイジーキャッツ)が始まりコントでは1960年代にコント55号(欽ちゃんと二郎さん)がエンターテイメントとして確立しました。今、お笑いは漫才の壁とエンターテイナーの壁が低くなりMCを中心に雛壇に芸人が集まってトークをするバラエティー番組がテレビを席巻しています。更にクイズ番組とコラボして正解を競う時代から如何に面白い珍回答をする番組が増えています。これにより座布団の上に座って扇子と手ぬぐいだけで話芸を披露する落語は下火になっていきました。つまり昔は本流だった物が亜流にその座を明け渡しています。

落語の場合、演じる題目は同じでも三遊亭圓生古今亭志ん生のどちらが演じた方が面白いという様に筋書よりも演じる人の芸が評価されていたようです。これはお笑いだけではなく一般の世の中でも飯炊き3年、炊き3年、更に握り3年  或いは  握り3年巻き8年いずれにしても10年かかって一人前と言われましたが今、本流の寿司屋さんは亜流とされた回転寿司にその座を譲りつつあります。寿司の命のしゃりに至っては最早ロボットが握っている時代です。一流の落語家になるためには師匠に弟子入りを志願して身の回りの世話をし徐々に二つめ真打ちというように上に上がっていきました。しかし今M-1で優勝している人達には師匠はいないようです。そういえば野球界でも同じで松井選手にしてもイチロー選手にしても特別指導を受けた訳ではなく、その技術は殆ど自分で作り上げたようです。作家の世界も同じで松本清張さんは全く師とする人がいなかったので自分がいいと思った小説を買ってきて、その文章を何度も書き写して自分の文体にしたという話を聞いたことがあります。

昔は樋口一葉半井桃水を師としていますし与謝野晶子与謝野鉄幹を師として、それが縁で妻になりました。つまり当時の人達は弟子入りを志願し師匠に教えを請う事が当然と考えていました。お笑いと言えば、たけし・さんま・紳助さんなどが上げられますが、これといった師匠を持っていない点が共通しています。師匠を求めなくても良い時代が今という事になります。携帯小説で普通の子が親指だけで、どこにも弟子入りせずに書いた小説が皆に読まれて本になる時代がきています。

まさに本流が亜流に喰われる時代の到来といえるかも知れません。情報化社会とは直接、観客(ユーザー、消費者)の人気を得やすい時代なのではないでしょうか。いかに上手い落語家がいても先輩から嫌われれば高座に出れませんし作家にしても実力があっても嫌われては雑誌に載ることができないかもしれません。つまり発信者の序列を無視して直接ユーザーに訴える事ができる時代なのでしょう。情報化社会は師匠と助手の関係をひっくりかえし年功をつんでも面白くない物は面白くないパッと出でも面白い人は面白いという時代なのかも知れません。

昭和の喜劇王林家三平さんの長男・こぶ平さんが金看板の林家正蔵を襲名したのは2年ほど前の事だったと思います。次男のいっ平さんが今度は三平さんを継ぐそうですが、この二人の落語を聞いたことがある人は少ないのではないでしょうか。やはり伝統というものは有り難いもので落語離れが起きていても、その時は又マスコミが取り上げるのではないでしょうか。

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