「国家の品格」はそこに住む国民の気質①
私は車の事はよく分かりませんがドイツの車はアウディだとかBMWとかベンツとかありますがフルモデルチェンジしてもBMWには特有のスタイルや共通性がありベンツも同じような事が言えます。
ドイツの自動車大手フォルクスワーゲンは、カブトムシの愛称で知られる旧型「ビートル」の生産を打ち切り、約70年の歴史に幕を閉じました。丸みを帯びた独特のデザインの同車は、世界でこれまでに約2,150万台を販売。戦後ドイツの奇跡的復興の象徴でもありました。旧カブトムシは、ヒトラーが1934年にポルシェ関係者らに「大衆車」の開発を指示し、37年に試作車が完成。大戦後に大量生産されるようになり、日米欧など世界各地で人気を呼びました。ただ、高性能高級車の登場や排ガス問題が障害となり、ドイツでは78年に生産を全面停止。その後はメキシコ工場に集約し、最近は毎日約50台を生産していました。新「ビートル」の生産は継続され66年間も殆どスタイルを変えなかったということになります。
この事からドイツ人の気質を感じます。つまり「自分たちは優秀な車を作って居るんだ」という自負が見受けられます。しかし、日本の車にはスタイルの共通性がないので30年前と今のカローラを比べると「これはカローラです」と言われない限り、とても同じ車とは思えません。つまり日本は良い物を作っているのに自分たちは凄いのだという自負があまりないように思います。それで日本車は海外から「ブラボー」と言われると「ホントにそんな凄い物を自分たちは作っているのだろうか」と顔を見合わせる様なところがあるのではないでしょうか。これは国民気質というもので、だから日本は士農工商という身分制度はありましたが奴隷のような扱い或いは制度がなかったのだと思います。(個人的には以前「中国・四川大地震に思う」で書いたように室町時代まで遡れば皆親戚なので差別そのものに意味がないのですが)
つまり世界が日本に対して怒った場合、8割方の日本人は怒っている世界の方に分があって自分たちが悪いと考えるメンタルティ-Mentalityがあります。しかし、私は全く朝鮮語は分かりませんが北朝鮮人民日報にでてくる人は怒っている様に話しています。中国の人も世界で聖火リレーが問題となったとき大半の国民は「何故、中国を愚弄するのか」と怒っていたように思います。この辺が国民性の違いだと考えます。嘗てヒトラーが「ドイツ人は優秀である。ユダヤ人は優秀でもないのに金儲けをしている」といったら殆どの国民が「その通りだ」と賛同しユダヤ人は迫害されました。アメリカ人も240年ほど前にコロンブスがアメリカ大陸を発見してインディアン銃を持って制圧し、アフリカから黒人を連れてきて強制的に労働を課しました。
ユダヤ人は日本で言えば邪馬台国(卑弥呼が居たのは確かですが、邪馬台国がどこにあったのかは今でも論争されています)を更に遡る時代に聖地エルサレムを追われた人達が2000年も経過する中で祖国イスラエルに戻ってきました。日本人なら2000年前に追われ或いは出て他国に散らばってしまったら、郷に入っては郷に従えと言って戻ることを考える人は殆ど居ないと思います。このように国民気質があり、その気質にあった制度を構築していった試行錯誤の過程が歴史だと考えます。