大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?22 原爆の墜ちた期間 20日間
そう言うわけで、もし日本が分割されていたら日本語が使えなくなり英語と中国語とロシア語を使う国民に分割されていた訳ですからアメリカに、あまり文句は言えないのかも知れませんね。 立て続けに二個(ウラン爆弾とプルトニウム爆弾)原爆を投下。成果を詳細にするために(広島原爆資料館HPより)広島にも長崎にも空襲は原爆の被害状況を調べる為に5月28日以降、つまり原爆投下の二月前からは空襲は控えるという念の入れようでしたからね。
つまり、こうなる訳です。時系列に整理してみると
- 1945/5/2 イタリア無条件降伏
- 1945/5/7 ドイツが無条件降伏
- ( この間にウラン爆弾とプルトニウム爆弾が完成したと言われています)
- 1945/8/6 広島にウラン爆撃投下ドイツ降伏後91日の間に種類の違う原子爆弾が二つ出来たと思いきや
- 1945/7/26ポツダム会談で 米のルーズベルトがイギリス・チャーチルとソ連・スターリンに原子爆弾が出来たと公式発言
ドイツ降伏後80日の間に種類の違う原子爆弾二機が出来たと思いきや (広島原爆資料館HPより)広島にも長崎にも空襲は原爆の被害状況を調べる為に5月28日以降は つまり原爆投下の二月前からは空襲は控えるという念の入れようでした。
よって 1945/5/7のドイツ降伏後から5/27の間に種類の違う原子爆弾二機が出来たという事になり、その間20日間となります。聞かされている史実では原子爆弾は当初ドイツに落とす予定だったが間に合わずドイツ敗戦直後に完成。それを日本の広島・長崎に落としたという史実から、何と原子爆弾は日本にとって20日以上早ければドイツに。 20日遅れたから広島・長崎に落とされた言うことになります。
しかし私は些細な事がきになるんです。コロンボ警部 杉下右京 やっぱり古畑任三郎さんかな「えー、お久しぶりです。古畑です。ゆうきさん私を使うのに三谷幸喜さんの許可を得て居ますか? えっブログを捜して許可を取ろうとしたけど ブログがないって---そうですか 三谷さんは今 ザ・マジックアワーで忙しいですからね。きっと許してくれるでしょう。何しろ太っ腹な人ですから。 でもブログの読者の中で三谷さんに連絡取れる人が居たら、お願いしておいた方がいいんじゃないんですか。さて何でしたっけ。あ、そうだ原子爆弾だ。ここにルーズベルトさん チャーチルさん スターリンさんがいらっしゃるんですね。ええと 何所ですか、ここは? 第二次大戦の戦後処理をしたソ連のヤルタというところ。 それでヤルタ会談ですか。時は1945年2月の何日ですか?え、分かんないどうしてですか? だってヤルタ会談中学の時に教わりましたけど2月のいつか明らかになっていない・・変ですね。本当にあったんですか?
それにしても 第二次大戦の最中にアメリカの大統領のルーズベルトさんがソ連にね。しかしルーズベルトさんは脳卒中で4/12に亡くなったんですね ヤルタの後2ヶ月くらいでお気の毒でしたと言うことは広島・長崎の原爆の成果は見られなかったんですね。それで副大統領のトルーマンさんが昇格して7/26ポツダム (ドイツ)ですか。そうですか。ドイツですか。南北分担の話だったんですね。既にドイツは無条件降伏をしていましたもんね。さて、それにしてもヤルタでは既に連合国は勝利したように台湾・ドイツ・オーストリア・日本・中国の事が話し合われて居るんですね。まだ戦闘の最中だったのにまるで全てが終わったような状況のようにです。