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大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?29

三國志の中に『二虎競食の計』というのがあります。魏の曹操の配下に筍イク(イクという漢字が出ません) という名の軍師がいました。彼は曹操劉備呂布の連係を断つ為に「二頭の腹のすいた虎の間に餌を投げ込めば二頭の虎は闘いあい一頭だけが残る。しかも両方とも重症だから、そこを狙えば簡単に仕留めることができる」と進言した事から、これを『二虎競食の計』と言われるようになりました。

これと同じようにアメリカは漁夫の利を得たのではないでしょうか。だって1776年に建国して(1914-18)第一次大戦終了です。建国後 142年で史上初の世界戦に最後の方にエントリーして勝利です。これですっかり有頂天になり広大な土地で砂糖・珈琲・綿花・煙草を生産して欧州に売ります。所謂、大農園(プランテーション)産業が盛んになっていきました。それで額に汗して働いた?飛んでもない。働いたのは人身売買されて強制的に働かされた黒人の末裔でした。アフリカ③ 5/31に詳細)黒人に働かせて欧州に売り、その莫大な利益をどうしたかというと投機マネーに変えていった訳です。

つまり時代は大英帝国から大米帝国(私の作った造語)へと変移していきました。その根幹にはキリスト教の『労働は罪である』という思想があったのかも知れません。因みにユダヤ教は「労働は神から命じられた神聖な行為である」と説いているようです。私はキリストは商業とか商人が嫌いだったのではないかと捉えているのですが、まだリサーチした訳ではないので分かったらアップしたいと思います。

その点、日本は「額に汗して働く事は尊いことである」という世界にも希な感性を持っています。『働く』という漢字は、人が動くと書きます。人偏(ニンベン)は、神がたてた法であり、つまり神意にそう事が働くことだという説もあります。それではユダヤと日本は同質なのか?私は違うと思っていますが資料不足で言明できません。ただ一点挙げると日本は古来より農耕民族だと云われています。農耕民族の日本人は種を蒔く時期、実る時期、収穫する時期を知っています。種を蒔く時期を間違えては収穫できません。常に天の恵みを感じながら熱い汗を流すことに喜びを感じた民族でユダヤ人は、そうした事はできませんでした。彼らは流民の民だったからです。よって金融という現金による商売、つまり現金なら何時でも持って逃げられる。しかし金融業ですので、この時の汗は冷や汗です。

余談ですが日本は四方を海に囲まれていることから漁業の面でも、その時々によって獲れる魚の種類は違います。漁師は常に海の荒れ具合・天候・台風などを見極めなければなりません。つまり何よりも経験を積んだお年寄りをたてることが重要になります。敬老の精神が発達したのではないかと思っています。

さて、いずれにしてもアメリカは大米帝国として労働は黒人に任せ自分たちはヨーロッパに売った農産物で大いに潤い自由の延長である経済をゲーム化し現在の株式市場を形成していく事になります。一方、大農園では機械化が進み、より多くの生産が出来るようになりました。第一次世界大戦後、ニューヨーク株式市場では信用取引や短期売買で巨万の富を得る相場師が現れました。しかし投機は常に実体よりも行きすぎるという性質を持っています。

10年も最高値を更新し続けてきたNY市場に1929/10/26 暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)下落率12.8%の日が訪れました。労働の伴わない株への投機熱がある日突然、真っ逆さまに落ち込むことになった訳です。その10年後に第二次世界大戦が勃発。つまり第二次世界大戦の引き金はアメリカのブラックサーズデーだったことになります。

欧州には持つ者と持たざる者が混在していました。それは植民地です。(6月16日 『大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?⑰』のブログに詳細)イギリス・フランス・ロシアなどは植民地を持っていたので恐慌に見舞われても要するに下請を叩いて利益を吸い上げる道があったのですが、ドイツ・イタリアは植民地を獲得していなかったので状況は深刻でした。そのドイツ・イタリアと手を組んだ日本。類は友を呼ぶと言う法則に従えば、ごく自然の事だったのではないでしょうか。

そこで植民地を持っている国と持っていない国が対立し持たざる国であったドイツ・イタリアにはファシズムという思想が生まれました。

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