大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?34
ボタンの掛け違いという言葉があります。最初の一つを間違え違和感を感じた頃には、もう殆ど終わっていると云うわけです。 特別に悪いことをしたわけでもないのに 毎日同じことをしてきたのに、ある日から狂ってくる。個人にそうした事があるように、国にも同じ様なことがあると ここまで書いてきて 今 そう思っています。
中国は蒋介石と蒋介石より三歳年下の毛沢東との覇権争いがありました。蒋介石は国民党、毛沢東は共産党(紅軍)として戦いました。毛沢東は善し悪しは兎も角、分かりやすいのですが 蒋介石は良く言えば複雑、悪く言えば怪奇な人で、私は何となく小沢一郎さんを思い浮かべてしまいます。
蒋介石は若い頃はスターリンとも会っていて共産主義を標榜していましたが、最後はアメリカ主義に傾倒しています。孫文(中国革命の父)とは義兄弟で孫文は明らかに日本に亡命していました。蒋介石は成人後日本の陸軍士官学校に入学していたと自身では云っていますが陸軍士官学校の卒業名簿や、その他資料にも名前の記載がない事から虚偽である事が明らかになっています。そもそも蒋介石の人生については書籍が数多く出版されていますが虚偽の記載も多いそうです(何だか秀吉っぽい感があります。塩商人の息子だったので出自を捏造したかったのかも知れません)
1887生まれの蒋介石の人柄は感情の起伏が激しく、子供の頃学校で一番熱中したのは孫子の兵法。中でも「戦とは、人を欺くことなり」というものですから思想家ではないように思います。
“革命の父”孫文の後を継いで戦った蒋介石には、二人の妻がいましたが二人を捨て権力への階段を駆け上がっる為に中国に君臨した宋財閥の三女・宋美齢(そうびれい)と結婚します。1911年の革命軍による「辛亥革命」によって、大陸を3世紀以上に 渡って統治してきた清王朝が翌年崩壊。その上、時代は第一次世界大戦に突入。この動乱にあって蒋介石は各地の革命軍を指導する一方、上海の地下組織で暗躍。しかもこの間、上海の歌姫・姚治誠(とうじせい)という愛人との間に、2番目の男の子蒋緯国(しょういこく)をもうけていました。
この頃 蒋介石は「人の予測を許さない兵を用い,謀りごとをめぐらし、人の思いもつかない方法で、敵の虚を突くのが知恵のある思慮の極地だ」と言っています。
故郷の妻・毛福梅をよそに1921年に16歳の女学生だった陳潔如に プロポーズ、蒋介石(34)は二度目の結婚をしています。プロポーズの際に「自分の愛を証明するため 指を一本切り落としてもいい」と云っています。
孫文の軍の若きリーダーとして活躍していた蒋介石。ところが、孫文の急死によって、思いがけない事態が起こります。孫文の妻であった宋三姉妹の次女・宋慶齢に蒋介石が再婚を迫り断られるのです。1926年 蒋介石は10万の大軍を率いて軍閥掃討を開始。誰もが「国共合作」で中国革命が達成されたことを疑わなかった。
しかし、蒋介石の軍隊が共に戦った共産党員や労働者に襲いかかったことにより、蒋介石は南京に国民政府樹立を発表。孫文の未亡人の妹でありクリスチャンでもある三女・美齢(びれい)との結婚は、欧州の支持が得られるということ打算もあった。この際 蒋介石は約束の指を堕とさずに先妻・陳潔如を捨てて、財力を持った宋一族を味方につけました。 宋一族にとっても、蒋介石を抱きこむことで新政権の要職に一族を 送り込み利権を確保出来ると考えての事だったのでしょう。つまり蒋介石は二人の女性を捨てて(子供まで産ませた愛人を含めると3人でしょうか)宋美齢と結婚した訳です。如何に言葉は重宝かという証です。故に行為行動から分析することが、重要となります。
一方、父親に反発していた長男・蒋経国は15歳でモスクワに留学していましたが、中国で共産党に敵対する蒋介石のことがあり、後に、スターリン政権に人質としてとられることになりました。 1928年、蒋介石は中国全土を制圧。南京を首都とする「国民党政府」の発足を正式に宣言。言論を制圧。共産党員らを 次々と逮捕。新妻・美齢は1934年から「新生活運動」となずけられた近代化に取り組みました。スローガンは「奢侈(しゃし)は亡国の母であり、倹約は建国のもとである!」 パフォーマンス夫婦は、アメリカから「経済支援」を 引き出すことに成功するのですが、その傍ら美齢が身に付ける化粧品は 年間400万ドル(5億円)と私的に流用していたようです。
1936年 国民党内部での思わぬクーデター。部下の張学良(ちょうがくりょう)に蒋介石が軟禁される「西安事件」が起こります。しかし宋美齢はアメリカ軍の支持を後ろ盾に、共産党の周恩来に直談判。国共合作(国民党・共産党)で日本軍と戦うことを条件に、夫の釈放を勝ち取ります。モスクワで スターリンの人質となっていた長男蒋経国も父が共産党と和解したことで 釈放され12年ぶり27歳の時に故郷に戻ります。しかし、義理の母・美齢とはうまくいくことはありませんでした。