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『風と共に去りぬ』を読んで②

当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していました。北部では米英戦争による英国工業製品の途絶で急速な工業化が進展していた為、奴隷制とは相容れられませんでした。それに対して南部では農業中心の大農園が盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出して巨万の冨を得ていました。そしてそれは、黒人奴隷の労働力により支えられていたのです。こうして両者は奴隷制を巡って対立してしまいました。

そして、財政難に陥ったフランス(ナポレオン1世)からルイジアナテリトリーを購入した事とメキシコから「独立」したテキサスとカルフォニアをアメリカ合衆国に加えた事によって、今までなんとか上院で保たれていた自由州派(北部)と奴隷州派(南部)の均衡が破られる事となりました。

欧州による経済支配を恐れた北部は、強い主権国家を標榜しており、南部の独立は認めがたがいものでした。また、当時のアラスカはロシア領であり、数年前にクリミア戦争で南下政策が食い止められたばかりだったので、合衆国としての強い基盤を築くためには独立を求める南部と対立することが避けられない情勢となりました。

そして南部は合衆国から脱退し、リー将軍をはじめとする優秀な指揮官らが「南部同盟」を結成し、南北戦争が勃発します。当初の選挙区は南部が優勢でした。優秀な指導者をもち、黒人達が戦いに参加するとなると北部は不利だったのです。そこでリンカーン大統領は「黒人奴隷解放」を旗印にし、黒人の戦争不参加のキャンペーンを行ったのです。

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