「甘えの構造」を読んで⑦
「くやみ」と「くやしさ」が日本人が低迷しやすい感情であるという事について一言しておこう。実際、日本人に顕著な判官贔屓の真理と密接な関係がある。この真理については佐藤忠男氏が極めて洞察に飛んだ解釈をしておられるが、氏はそこで日本人が義経・楠木正成・四十七士・西郷隆盛などのごとき敗残の将の方に強い親近感を覚えるのは道徳的マゾヒストの現れだとのべておられる。
この解釈は全く正しいが、もっと普通の言葉で分かりやすくいえば、悔しさの為である。日本人は得てして悔しい感情を持ち、また奇妙な事だがそれを大事にする。悔しい感情自体を賎しむべき物だとは思わない。そこで歴史上の人物で悔しさを充分経験したと思われるものと同一化し、これらの人物を持ち上げることによって自分自身のくやしさのカタルシスをはかっていると考えられるのである。
このように日本人が悔しさの感情を大事にする天は欧米人と随分違うところである。もちろん欧米人にも復讐の概念はある。しかしこれは正義感と密接な関係があるのにたいして日本人の悔しさは必ずじも正義感とは結びつかない。むしろそれは上述した如くの甘えと関係がある。
昔の武士などは親が殺されたりすると旅をしてまで敵を捜し出し、果たし合いをしたと聞いたことがあります。今のように情報化でない時代に、どこにいるとも分からない敵を捜す復讐の旅は想像を絶します。
上記のように日本人特有の感性の中に「仇討ち」というものがあります。源義経も打倒平氏で兄の元に駆けつけ、平氏を滅ぼしました。四十七士も主君・浅野内匠頭の切腹に対し幕府に異議を唱えた結果、受け入れられず吉良上野介を討ちました。
この仇討ちも「くやしさ」が主な感情です。父母の無念や主君の無念を晴らしたいという原動力があり、またそれを、ある意味で重要視する民族が日本人なのだと思いました。