<小説・アジャスターと死の問題>
>ヤシロさん
アジャスター読んでます。
独特な作風ですね。
ところで、赤いBMVにしたのは、何か意図があったんですか?
俺は、かなりあると思ってますけど。
ヤシロさん 感想、有り難う御座います。
私は書いているときから、赤い2ドアのBMWを想定していました。理由は赤いBMWというと、私の場合、セレブを思い浮かべるからです。私のイメージだと、金子洋治は超セレブの御曹司で西雄FGの重役なので、ブルー系統の車を選ぶと思います。しかし、屈折した洋治の性格では、迷うことなく真っ赤な車を好むと思って、そう書いてみました。
ヤシロさんの想像と同じだといいんですが……。
>みっきーさん
ダラダラと感じる小説がありますが、そういうものを今のところを感じていません。アジャスターを書くのに何かきっかけは、あったんですか?
私は小学生の時に、二人の同級生の死を体験しました。一人は、1年生の時に女子、もう一人は6年の時に男子でした。
小学校1年だと、死の意味する事が分かりません。1年生になりたての5月、ゴールデンウイークの時に、電話連絡網で知らせてきました。
「○○ちゃん(本名は個人情報の問題があるかも知れないので伏せます)が、事故で亡くなったって」
と言われた時、亡くなったと言う言葉の意味が分かりませんでしたが。その後、相手は車で、交通事故で死んだのだと分かりました。『痛かっただろうな』と思いました。私にとって、始めて死を間近に感じた時でした。
その子は五月のゴールデンウイークに親からオモチャを買って貰ったのですが、入っていた電池が使えず、夕刻五時半過ぎに電池を買うために道路を横切るときに事故に遭ってしまいました。
一刻も早くオモチャで遊びたいという思いが、慣れているマンション下の道路での不幸な事故に繋がりました。母が、何度も「電池さえ機能していれば、可哀想に」と言っていました。 その後、一家は引っ越していきました。きっと事故現場のすぐ向いにあるマンションに住み続ける事が忍びなかったのだと思います。
『好事魔多し』と父が言いました。私が始めて知った格言です。きっと○○ちゃんはオモチャを、ゴールデンウイークなので買って貰って喜び勇んで、家で遊ぼうとしたら、電池が入っていなかった。一秒でも早く、動かしたかったのでしょう。いつもだったら注意しているところも、嬉しさのあまり、飛びだしたのだと思います。辛いときより、嬉しいときの方が、動作が機敏になります。しかし、ひっくり返せば、注意散漫にもなります。たった一個の電池と、新・小学生の命が引き替えになりました。
楽しい筈のゴールデンウイークが、一遍に灰色になりました。全ては、たった一個の電池の問題から始まりました。
きっと、その事が、小説『アジャスター(自動車事故査定員物語)』の原点かも知れません。大晦日の夜、10時半、金子洋治の赤いBMWが、そこを通過しなければ、そして、小沢琢磨が、あと2秒、早く通過すれば起きない事故で、もし、そうであったら、このドラマは、全く成立しませんでした。電池一個の差。これが、私の強烈な人生観となっていたようです。