注意一瞬、事故一生
まこさん、コメント有難う御座います。
>私も子どもを交通事故で亡くしているので、他人事ではありません。私は、知り合いのお母さんに秀作のブログだからと紹介しました。他に交通事故防止に役立つことがあったら教えてください。
私が聴いた「好事魔多し」という例です。
結婚が決まったので、世話になった伯母さんに挨拶に言った帰り、嫁入り前だからと伯母さんは、息子に最寄りの駅まで送って行くように言いました。息子は、『勝手知ったる道とばかりに、一時停止をせずに直進。そこで乗用車と衝突、結婚式の日取りまで決まっていた従兄弟の女性はシートベルトをしていなかったので、フロントガラスに頭から突っ込んで、救急病棟に運ばれました。運悪く、ぶつかった相手の女性も、その被害を受けた女性と同い年だったのですが、彼女はシートベルトをしていたので助かりました。
当初は、お互いにお互い様だからという事でしたが、結婚間近の女性は、植物人間になってしまいました。その後、当然のことですが、伯母さんと、母親の妹さんも不仲になり、問題の女性はそれさえも分からない状態。ハンドルを握っていた従兄弟も贖いの日が続いています。
交通事故というと、人生百般、色々災難はありますが、死ぬまでに何度か遭遇すると決めて掛かった方が良いと想います。 私が小学校にあがる前、母が父の運転する車で走行中、私が三輪車に乗って祖母と道路を走っているのを観て、父に「止まって」と声をかけたそうです。でも父は止まらずに通り過ぎました。母は腹をたてました。でも父は「あそこで 車を止めたら、おまえが娘にこえをかける、すると、まだ三歳だから三輪車から降りて、車に駆け寄ってくるかもしれない。そうしていたら、対向車に轢かれる可能性があった」といったそうです。
もし、そこで父が停まって母が私に声を掛けていたら、父の言ったとおり、三歳の私は車に駆け寄ったと思います。そうしたシュツエーションがあったとき、父のような行動を取る人が、どれだけいるか分かりません。万が一、父がそうした行動をとらなかったら。私は今、ブログを書いていなかったかも知れないと言えます。
『好事魔多し』嬉しいときが、危険なとき。死に神は笑いながらやってくると、時折、口に出していうといいかもしれませんね。それにしても、人生の一番の晴れ舞台を前に、伯母さんの所へいって、祝福を受けて従姉妹に送ってもらって良い思い出になるところだったのにと思うとやりきれません。どちらかが0.3秒早いか、どちらかが0.3秒遅ければ遭遇しませんでした。「注意一瞬、事故一生」とは、とてもよく的を得ていると思います。