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徒然なるままに③

(徒然なるままに①,②は下にあります。)

「口は重宝、何とでも言える」が私のブログのポリシーですが、人は騙せても、自分は騙せません。新自由主義ではないと竹中さんは言う。でも、心があって、言論があり、行動があります。竹中さんが、偉い人は実に人の話を聞く、それが小泉さんだったといいます。

 小泉さんは2003年3月20日、米英の攻撃から始まったイラク戦争際、いち早く、アメリカ支持を表明したのが小泉さんでした。小泉さん3月24日衆院予算委員会で「日本を攻撃したいという国は、アメリカとも戦わなければならないと覚悟しなければならない」という事を知らしめたいとしましたが、小泉さんは実質、日本をアメリカの51番目の州のようにしたかった。竹中さんもそうすれば、日本は安泰だと思っていた。

 そして実際、三角合併 司法まで、陪審員制度以上の裁判員制度にして、アメリカの新自由主義のOSとの互換性に勤めたら、御本家のアメリカがそのOSに破綻を来してきた。故に、アメリカがクシャミをすると、日本が風邪を引く現象が現れたといったら、お祖父ちゃんから子どもまで理解できます。

 大体、世の中は高邁な論理や哲理で動いている訳ではありません。論より証拠、時代の寵児のように持てはやされた竹中さんは、一切弁明しませんでした。何故か、誰も追究しなかったからです。しかし今は追究しています。本来、学者なら、こういう時こそ、『因・縁・果の法則』を語り、竹中理論は正しいとすべき大チャンスの時です。

 仮に私が、竹中さんの弁護をするとしたら、細木数子も、小泉も、郵政民営化すれば景気は良くなるとした。しかし大ハズレだった。細木は、旗色が悪くなると知って、テレビから降りた。小泉は引退することにした。しかし、竹中は残ってしまった。何故か、学者であったからである。

 つまり日本では学者信仰がある。学者は、占い師より、政治家より権威が上であるとしている。しかし、その見解は間違っている。学者とは、最も過去を知る学問で、未来を読み解く学問ではない。未来とは、天の時と時代と社会を語れる逸材でなければならない。

『高き屋に、のぼりて見れば 煙たつ民のかまどは にぎはひにけり』と詠んだ仁徳天皇に対し、東条英機は、ゴミ箱をあさり、世の中を見た。遠くから見た逸材と、渦中にいながら、残飯を漁った違いは、人と犬ほどの違いがあると、自分の為の弁護は残飯を見つめるが如く手法で、そこに徹する限り、批判は納まらないと思います。

 相棒の杉下右京警部風に言えば、「直ぐに脱線するのが私の悪い癖です」という事で話を戻したいと思います。

  世の中には法則があります。戦いとは、勝つ事が目的で、そこにこそ意義があります。正義は向こう側にもあります。孫子の兵法にあるかどうかは知りませんが、嘗て、1996年アトランタ五輪での女子マラソン優勝候補の浅利純子選手は、レースの日に、新品の靴で靴擦れして出血して脱落しました。

 この教訓は戦いのセオリーは、昨日のように戦うことです。政治の戦いの場は国会ではなく選挙にあります。人々の思い、つまり祈りを、どちらが正しく感じるかです。

 敗者への思いやりなき勇者は居ないと信じています。内藤選手は、兼々、「みんなの為に戦って勝ちたい」といっています。その通り、高齢で、一ヶ月10万の生活をして到達した世界チャンピョン。内藤選手が勝てば、多くの日本人が感動します。しかし、竹中さんが如何に、論戦で勝っても、喜ぶのは教え子と、一部の竹中信徒だけでしょう。景気も、不景気も大きな要因は気です。

 頑張って勝って欲しいと思います。イチロー選手が打つことは当然の美学、内藤選手が勝つのは祈りの美学です。

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