保管

保管場所

流れは民主党、でも

 鹿児島県霧島市で8日に開かれた民主党衆院選立候補予定者の決起集会で、2枚の「日の丸」を切り刻んで重ね、民主党旗として掲揚していたことが分かった。集会には小沢一郎代表代行も出席しており、「切り刻んだ国旗」は民主党のホームページにも一時掲載されていた。

 麻生太郎首相が17日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会でこの事実を指摘し、「国旗を切り刻むとはどういうことか。信じたくない。とても悲しく許し難い行為だ」と批判した。

 民主党鳩山由紀夫代表は「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば大変申し訳ない。それは国旗ではなく、われわれの神聖なマークなので、きちんと作られなければいけない話だ」と述べた。

  友愛、外国人参政権、次は日の丸ですか。

 民主党党員の思想が露呈しましたね。一体、こんな事をした人は何人なのでしょう。どこの国の政治家なのかと言いたくなります。日本の事を一に思わない。そういう人が議員になる。そこに疑問を呈したくなります。

 さて、日本の日の丸。これは世界でも類を見ない国旗です。世に星や月をモチーフにする国は数多くありますが、太陽をシンボルにしている国は、日本一国のみです。

 日本は「日出る国」と称されるように、今でも「お天道様に顔向けできない」と太陽を信仰する国でした。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、こう記しています。

 庭に隣接した川岸から、手を拍つ音が届く――ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつだ――だが音の主は生け垣に隠れて見えない。だがしかし、帯に青い手拭いを提げた男女が、向こう岸の桟橋まで石段を降りるのが見える。顔や手を洗い、口をすすぐ――神道の祈りに先立ちお浄めをするのだ。それから朝日の方に向き直ると、四度手を拍ち祈りを捧げる。大きく白い橋から、山彦のように別の柏手が聞こえ、三日月のような形をした美しい小型舟の群れからも新たな柏手が聞こえる

 ――その不思議な小舟では、立ちあがった裸の舟人が黄金色の空に向かって頭を下げている。その頃には柏手の音も増え――ついには乾いた音がほとんど絶え間なく響き出す。人々は皆、朝日(『御日さん』)つまり太陽の女神――天照大神に礼拝しているのだ【※原註3 『天照大神』とは、文字通り『天照らす大いなる御神』という意味である。(チェンバレン教授による『古事記』翻訳を参照。)】。

 「今日様! 本日も宜しゅう御願いいたします! こうして照らして下さいまして有難う御座いまする!」口には出さずとも、無数の人々が心の中でそう念じているはずだ。太陽にだけしか手を拍たぬ者もいる。だが殆どの人は西に、すなわち由緒ある杵築神社に向き直り、かなりの人が八百万の神々の名を唱えながら、天を仰がんとする。あるいはふたたび天照にぬかずいたあとで、薬師寺のある一畑に身体を向ける人々もいる

 ――薬師とは盲人に光を与えた如来だ――神道のように柏手を拍たずに、そっと両手をすりあわせるのが仏式である。だが誰もが――この日本の古都に住む仏教徒は誰もが――同時に神道を奉じてもおり――古くからの祈りの言葉を口にする。「払い給い、浄め給いと、神、斎み給み」仏教伝来以前より世を治しめし、今もこの出雲の国を――葦原の中つ国を、雲出ずる国を――司る神々への祈りだ。天地発けし混沌と海とより生まれし神々――宇比地邇神(初泥の神)、須比智邇神(初砂の女神)といった長く不思議な名を持つ神々への祈りだ。かかる天つ神――力と美の神、国造りの神、山と川つくりたまいし神――『日嗣』と呼ばれる位を継承し続ける君主の、遙か祖先の神――かかる天つ神より後に生まれし神々への祈りだ。この地に住みし三千柱の神々と、高天の原(高き天の平原)に住まいし八百万の神々への祈りだ。「日本国中八百万の神々様!」

 その素晴らしい日の丸を、日教組という赤い教師団による裏面教育によって、純心な子弟がつぎつぎと赤化されて、全共闘世代はソ連祖国・中共祖国とうそぶいて、日の丸を焼き、赤旗を振る始末。その赤化教育をまだ引きずっている人が議員にいるという事なのでしょう。

 しかも、卒業式で日章旗を揚げなかったり、国家を歌わせないようにしたのも日教組です。それが戦後から今まで60年以上も続いています。私自身、日章旗は揚がっていましたが、君が代については「君が代については、思うところのある人もいるから、歌っても歌わなくてもよい」という訳の解らない事を言われましたから。

この記事を読んで良かったと思った方は投票してくださると嬉しいです