司馬遼太郎が語る戦争①
NHKで生前に司馬遼太郎さんが語った番組が放映されていました。主に、先の大戦と、それが始まる要因となったノモンハンがテーマでした。
司馬さんは、あの時代をこう表現しています。「日本は大正の末から敗戦まで魔法の森になってしまった」一見すると何の事だろうと思うような言葉ですが、ここに司馬さんが戦国時代まで遡って、日本人はいつから馬鹿になってしまったんだろうかという問いの答えがあると思っています。
まず語りの前段ですが、自身の少年時代のことについて話していました。「戦争が始まるらしいと父の客が言った。少年は動物的な戦慄を覚えた」文学的な表現だなと思いました。司馬さんは学校が嫌いで、教わるのも嫌い。4,50人が教室に入って教師の話を聞くというスタイルが耐えられなかったようで、図書館で分からない事は調べていたといいます。しかも、それで結構色々な事が分かってしまうので、「図書館と本屋があればいい」と述懐するように歴史作家の下地は、この頃作られたのかも知れません。
そのまま学校の途中から軍隊にとられて満州に。敗戦の半年前、連隊ごと帰ってきました。ここで番組では語られていないのですが、昭和20年、当時22歳だった司馬さんは、戦車部隊に配属されたとき『敵が日本人を追い詰めているのだから当然助け出しに行け』という命令を心待ちしていたら、何と敵陣に突っ込めと言われ、『それでは、民衆が板挟みになるではありませんか』と誰かが訴えると、大本営参謀は『逃げてくる民衆が作戦の邪魔になった場合は、ひき殺してでもいけ』と言ったそうです。
この時、司馬さんは、この戦争は勝てないと確信しました。「そこら辺でお店をやっている人なら、そんな馬鹿な事をしないのに、国家規模だとやる。軍人を含めた官僚が。大正から昭和の間に愛国心があった人がいたのか。戦場で死ぬことは愛国心ではない」こうして戦後、「日本人は、いつからこんなに愚かになったのか」という日本人探しの旅から戦国時代、幕末、明治を書く事になります。