ブログの作法③
>わかたかたかこさん
こんにちは
こんなにたくさん書いていただくほどの事を書いた覚えは無いのですけど。
それと私が書いたのと関係ないことが…
通信欄にお返事くださればいいのに。
まあご自分のブログですからね。
お若い女性なのに他の多くの方のように美容とかその他流行のものに流されない硬派なところはあなたの良い点で、同時にカタイと周囲の方に見られていないでしょうか?
私なんか何でもアリの超軟派ブログですからね。
自分もですが映画、文学のレビューやら政治論やら、所詮他人様のしたことに乗っかってるだけ。文句言うなら自分がやってみろ、ですよね。
自分が小さなことでも経験したことを書いたほうが見て頂く方の反応も良いのですね。
いすけやさんが言われるように、ご自分の経験を書かれたほうがもっといいものがお書きになれるのでは?
いつも、お立ち寄り頂き、有難う御座います。確かに書いていて、質問以外の事も書いてしまっていると思っていたので、こういうコメントを頂くと思っていました。ただ、私は自分の感情をその時思ったまま書いた方がいいのではないかと考え始めています。混乱させてしまったならすみません。コメント以外の事に関して御気分を害したらならお詫びいたします。私のブログでは、なるべくコメントを頂いたら答えたいと思い、もっと言いたいことがあると書いている内にドンドン長くなってしまうようです。
「自分の経験を書いたらどうか」というご指摘ですが、正直、殆ど書くに値する体験も経験もしていません。全くないとは言いませんが、それは書くほどのことでもないのです。私の愛読書は松本清張の「半生の記」と吉川英治「忘れのこりの記」です。この二冊を愛読書にしている人はそうはいない、極論すれば私だけではないかと思っています。
それは内容が、楽しくなくて暗い、もっと言えば悲惨だからです。でも私にとっては貴重な書です。松本清張は36歳の時に兵隊にとられました。そして太宰は38の時に愛人と入水自殺をしています。私から云わせれば、自分の我が儘で過去に未遂で一人、そして最後に二人の女性を道連れにしています。しかし二人は同い年ですが、そのころ清張は意図せず兵隊にとられた訳です。
半生の記は本人が「こんな詰まらない人生だったのか。書かない方が良かった」と述懐したほどです。そして太宰が38で死んだ4年後に同い年であった清張は何とも遅い文壇デビューをしました。しかし、そこから書き始めて殆ど休むことなく書き続けました。そのバイタリティがどこからくるのか。自分に、そこまでのパワーはないので人物として尊敬しています。
吉川英治は裕福なボンボンで、お手伝いさんを虐めたりして何不自由なく栄耀栄華しました。しかし、お父さんが事情に失敗して事態は一遍。没落し、堕ちてみて初めて自分がしていた事の非道に気がつき、悪い事をしたと思っている様子が描かれています。もしかすると人間は上手くいっている時よりも意に反して堕ちた時の方が考え改めるものなのかもしれません。その吉川英治の「三国志」「宮本武蔵」が有名になり、国民作家と言われるほどの人になりました。「我以外、みな私が師」という人生訓も深いと思います。
二人とも実に面白い小説を書きました。きっと人生が暗く詰まらないので逆に楽しいことを考えて小説にしたのかも知れません。それと同じで私の実体験を書くと、きっと楽しくないと思います。つまらないでしょう。私は「読み物は楽しくあるべきだ」と思っています。その楽しいというのは、面白おかしくというのではなく、誰に見られるでもなく慄然と生きている様だったり、無邪気に遊ぶ子供と真剣に向かい合って真剣に話す事で意思疎通が図れたときの喜びとか、そういう昔で言う「いとおかし」という感覚です。
こう書くと、とても暗い辛い人生を送ってきたような漢字ですが、平々凡々としていて取り立てて書くことがないんです。ただ将来、何故会計の道を辞めて作家になりたいと思ったのか、その動機は書いてみたいと思っています。それが私にとって唯一の私小説になるかも知れません。
松本清張は反骨の精神の人だったと言われます。学歴・職歴がなく、差別と言ってもいいほどの酷い目に遭いました。それを表している訳ですが、もう一つの称号は孤高の人というものです。私は、松本清張を「孤高の天才」だと思っています。文壇にデビューしても三島由紀夫からはつまはじきにされ、しかし何の反論もせずに只書き続けました。清張自身が文壇にあまり交友関係がない。師もいないと言っています。孤独こそ孤立ではなく如何に客観的に見るかという視点なのではないかと考えます。
そういう事をブログで書いても勿論いい訳ですが、好みの問題になってきますが、私は小説という形で自分の意見を書いている傾向にあります。松本清張の小説が特別好きだと言うわけではありませんが、彼の42歳までの人生の中で、小説の材料になるような体験は殆どないといっていいでしょう。もしかしたら私以上にないかも知れません。ただ印刷業や今で云うイラストレーター(意匠係)という職業が頻繁に作品の中で出てくるので、なんでだろうと思っていたら、それが清張の職業体験だった事から得心がいきました。
時代というのは有り難いもので、恐らく今、清張が作家になっていたら更に面白いものが書けたでしょう。何しろ、ネットで直ぐに調べたい事を調べられるのですが、当時は本しかなく、清張の家は本が山積みになっています。やはり、情報収集の為には本を買わざるをえなかったからでしょう。司馬良太郎さんが古本屋のある店をトラック一杯にかっていって、そこから次に何について書くか分かるほど資料を集めたと聞きました。
何度か書いていますが、松本清張さんは昭和を主に描きました。ところが、司馬遼太郎は明治まで書いて昭和は相当数の情報を集めたのに、一遍たりとも書いていません。私は、昭和史に平成が抱えている問題の原因があると思っています。それで調べて、その事をブログで発表したりしています。いわば私にとってのブログは、小説にしたい事や調べた事の発表の場でもあるのです。
例えば、わかたかさんは、九州の佐世保にお住まいのようですが、佐世保というと私の勝手なイメージでは海、港、佐世保重工です。このくらいしか思い浮かべませんが、こんな遠いところの人からコメントを頂くという事は、ある意味、現実社会よりネット社会の方が遙かに科学的であり、バーチャルVirtualが現実を越えている部分があると思っています。
私の母は小学生の頃、文通していたそうです。でもそれは大変な労力だったといいます。それで先鋒から遊びに来ないかと言われて一度文通相手の女の子の家を訪れた事がありますが、とても豪華な家だったので、母の家は小さくて恥ずかしくて呼べず、その後は続かなかったようです。でも今なら写真を送ったりも出来るので、そういう問題も解消すると思います。坂本龍馬は地球一周を超えるほど歩き続けて多くの人物にあったそうです。吉田松陰も握り飯を食べながら人物を求めて走り続けた人でした。そんな彼等の苦労も今だったら家に座っていれば出来てしまうのです。
何故かというと、語れる人はごまんといますが、考えていて自分の意見をしっかり持っている人は殆どいないと言っていいくらいです。一つ指針があると全然違います。指針というと、もっとおおらかにと思うかも知れませんが、そこがしっかりしているとブレがなくて民主党みたいな事にならないと思います。
例えば一例をいいますと、私は、討論番組をみるのですが4時間ものでも20分しかみません。この人の意見はあまり必要じゃない、この人の意見は聞いてみたいと取捨選択するからです。聞いてみたい人のコメントというのは、必ず言い得て妙というか言い回しがよく、切り返しも上手いので、書き留めることもあります。そうするとより効率的な時間の使い方が出来る訳ですが、このようなテレビの見方は多くの人がしていないと思います。
こうして書いていくと何時も感じる事は、悪く言えば人間は時代に翻弄される、良く言えば時代の恩恵に与るという事です。様々なブログがあり、多様なテーマがあるでそしょうが、これは私のブログの大きなテーマになっています。例えば今、日本が戦時下であれば、このようなやり取りはできないでしょう。そして、共通して現在は不景気で、大いに国民のマインドが冷えています。人間は環境に馴染む動物で、例えばバブルの時代は仕事が終わっても真っ直ぐ帰るのは馬鹿馬鹿しいとばかりに「5時から男」という言葉が流行って飲み歩く時代でしたが、今そんな事をしている人はなく大方の人は真っ直ぐ帰っているでしょう。
するとテレビは次回もみてほしいので、そのように番組編成する。その内、気になる番組が三本四本できて、続きが見たいので家に帰る。これになれると、外で酒を飲むより家でいいじゃんという事になって益々消費されなくなります。だから、不況から脱出するのは、奥さんが外さんになるくらいじゃないと消費指数は上がらないのではないかと思っています。
今の若い世代は些細な事でもメールをするので年配の人からすると、コミュニケーションが危ういという意見があるようです。でも、電話だといきなり用件を伝える事って出来ません。挨拶や元気だったかとか、結局本論に入るまで でもメールなら用件がしかも記録に残ります。つまり、情報機器や人の性格を変えていくメディアだと思っています。
自己分析すると私は、やはり私小説的な事は書けないと思います。時代に翻弄される人間。しかし翻弄されるだけでいいのかと思い悩む人間。自分は時代に染まっていないと思いながらも染まっている現実。そのような事を書いている作品が自分に合っていると思っています。それは例えば戦国時代、城を枕に討ち死にを考える武将と、死ぬなら打って出て戦いながら死んでいく武将がいたとすれば、どちらがいいという問題でなく、その人の主義、思考の問題になるのではないでしょうか。そして系譜を辿ると、案外、先祖も同じ様な選択をしているのではないかと思っています。
今年もまだ年初ですが、皆が暗いと言っています。一方で時代は西洋から東洋の時代となり、経済そのものはそれほど落ち込まないと思っています。米から中に貿易相手もシフトしているからです。
私の頭の中では、このように経済と政治と国の流れと個人の有り様に間に境界線がありません。つまり、世の中は連環連鎖しているという観念が信念だからといってもいいかも知れません。仏教用語になってしまいますが、言うなれば「一は全、全は一」私のブログはそれと同じで、国が良い時は個人も幸せになり、悪いと個人も不幸せになります。だから、個人が幸せになりたいなら国が良くならないと駄目なのです。
その辺が堅いと言えば堅いのかも知れませんが、考えに考え抜いた末の結論です。これは、わかたかさんに対する反論ではありません。コメントを頂いて考えた事を徒然なるままに書きました。