日米安保50周年を考える23
アリストテレスの三段論法とは大前提、小前提、結論の三つの命題で語る推論規則で、例を言えば、
①全ての人間は死すべきものである。
②ソクラテスは人間である。
③故にソクラテスは死すべき者であるという ものです。
その三段論法で、私のブログの現在地(アドレス)と現在値(バリュー)を言えば、
①その国の国民は、その国の興亡盛衰の影響を受ける運命にある。
②私は日本人である。
③故に、日本が富んでいれば、最低の衣食住、生活が送れるというものです。
森光子さんも、「国が平和なら国民は苦しくても何とか生きていける」といっています。森さんは、司馬遼太郎さんが、日本は1920年頃から『魔法の森』に入った時から知っている世代ですから、当然、飢餓も知っている人です。非常に切実な話だと思います。
「日本が他国に襲われたらどうするか」と久米宏さんがいったら、室井佑月さんが「手を合わせて、やめて下さいと言います」といったら隣にいた森永卓郎さんが「素晴らしい」と拍手を送っている番組を去年見ました。
マクルーハンは『メディア・イス・メッセージ(Media is message)過去の過去は現代である』といっています。そうであれば、過去にそれを裏付ける事実があった筈です。
『二・二六事件』とは陸軍の将校達が、1936年、兵士1400人を引き連れ政府要人8人を殺害した事件です。その中に、ダルマ蔵相といわれた高橋是清首相がいました。青年将校達は赤坂の首相の自宅を取り巻き、高橋首相の寝込みを襲いました。押し入ってきた将校達に高橋首相は手で制止しながら「話しせば分かる。話しせば分かるから」と言いましたが、その刹那、将校は高橋是清首相を射殺しました。
この当時の陸軍の将校というのは、一高、東大、学士様と言われた東大生以上のスーパーエリートで、陸軍士官学校は東大以上の文武両道の優れた人物でなければ入れず、東大に入っても騒がれませんでしたが、陸軍士官学校を入ると陸士、海軍兵学校に入ると海兵と呼ばれ地方の新聞には、「オラが国から、陸士、海兵が出た」と新聞に載るほどだったといいます。
何を言いたいのか。日本のスーパーエリートが自国の政治元首とも言うべき首相官邸を深夜襲撃し、問答無用で首相を射殺。このような暴挙をくり広げました。余程、ご自分達を偉いと思っていたら、昭和天皇から忠義の下士官とのお褒めの言葉を賜ると信じていたようですが、リーダー達は銃殺刑でした。
1945年8月20日、これは日本人であったら子々孫々。記憶に留めるべき日です。日本の教科書では、日本の終戦が8月15日としか書かれていませんが、実はその五日後にソ連が日ソ不可侵条約を破り、日本国土の10%の樺太、千島、北洋漁場を奪っていた事を教えていません。
何故、北方四島(択捉エトロフ・国後クナシリ・色丹シコタン・歯舞ハバマイ)返還だけをいうのか。樺太を諦めているのか理由が全く分かりません。樺太にはアイヌの先住民が居ました。従ってアイヌの土地です。ソ連の土地であるという根拠は全くありません。何よりも、間宮海峡はシーボルトも認めていて、間宮の瀬戸として世界地図に表記しています。
この当時、葛飾区民と同数の40万人が樺太に住んでいました。ソ連兵は、婦女を陵辱しました。女性は、ソ連語は分からずとも手を合わせて、室井佑月さんがいったように哀願したことは当然です。しかし強姦され自殺した人が沢山います。戦争という精神も肉体も飢餓状態になり、人間であるのか動物であるのか分からない状態を、ホカホカの食事が食べれて、ふかふかのイスに座って論じるとき、既に、逸脱しています。
それは丁度、天国から地獄の様相を論じているようなもので、本質とは掛け離れているのではないでしょうか。 いったい、世界の歴史の何処に、手を合わせて「やめて下さい」と哀願して助かった例があるのか。あったら教えて欲しいものだと思います。