落語と笑い
落語家は話すのが商売ですが、名人は、聞き手に回っても実に聞き上手です。 しかしバラエティーの人は、必ずしも聞き上手ではありません。両方とも、笑わすのが商売ですが、一番違うところは、そこではないでしょうか。
落語は、客と落語家の中間に笑いを探しますが、バラエティの笑いは、如何に観客を自分のエリアに入れるかというように、種類の違った話芸のように感じています。これは、どちらが優れているかではなく。好みの問題です。
明石家さんまさんは、自分の世界に引き込むために、ひき笑いと、ソファーを叩いたり、棒状のものを叩いたりして笑いのリズムの調子を取っているように思いますし、島田紳助さんは、速射砲のように一気に最後まで立て板に水のように駆け上がる様にしておいてから、落とす技術をもっています。何の道でも、その道のスペシャリストは、自分だけの得意技を持っています。
たけしさんは、映画というジャンルで、日本よりフランスでウケているようです。もしかすると前世は、西洋人だったのかも知れませんね。武田鉄矢さんの、お母さんは、「詩を作ったり、歌を唄う技術など教えたこともないのに、楽器もできないのに作曲するという事は背中に何かついている」と言ったそうです。
松本清張さんは42歳で作家デビューするのですが、一人っ子で極貧。九州の小倉から殆ど出たこともないという。普通の人よりも体験値、経験値が低い中で、あれだけの作品を書いたのですから、前世で何かそういう職業についていたのでしょう。
人も羨む境涯でも、例えば、歌手にしても「好きで、その歌を歌っていた訳でない。本当はもっと違う曲調が好きで、歌詞も自分の感性と全く違う。嫌で仕方なかった」という人が結構いますが、年月を経て、それが自分の財産だったと分かって、当時より今の方が真剣に歌っているという例も結構あります。
伊藤ゆかりさんや大橋純子さんが、そうです。その場合、その歌は与えられる(歌そのものであったり、コンセプトであったり)ものなので自分の思ったようにはできないのでしょう。そこへいくと、アスリートの世界は、皆自分で選んでやっているので、そのような違和感をもってやっているという例は少ないようです。
ただ、人間は複雑で、確かに「好きこそ、ものの上手なれ」という言葉がありますが、本当に、それが天職かとなると難しいものがあります。つまり、絵が好きで絵の才能がある人、歌が好きで歌が上手い人は、それだけで幸せです。しかし、その逆に歌が好きなのに、歌を歌うと耳を塞がれてしまう人や人を笑わせたいのに笑って貰えない人は不幸せというものです。
例えば、実は、スキーやスケートが好きで、水泳が好きなのに黒人は、その機会に恵まれていない。それで水泳に黒人選手が、ウインタースポーツに黒人が少ないのでしょう。そう考えると水泳にもウインタースポーツにも黒人がもっと出てきたときが、キング牧師が描いた白人の子と、黒人の子が、そして黄色い色の肌の子も屈託無く笑える時代が来ると思うのですが、そうなる前の過渡期が、未来からの視点でみれば現代ではないのかと思っています。
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