千変万化の時代
来月末締め切りの原稿用紙100枚と120枚ものにメドがついて8月末の400枚ものを書いています。何を見ても聞いても、小説のネタはないかと血眼です。
近代日本画壇の巨匠で没線描法(輪郭を明瞭に表さない)を確立した横山大観は、あるとき、記者に若い画描きの人をどう思いますかと聞かれ「君ね、僕は自分の作品の事で頭が一杯で、人の批評をしている余裕はないんだよ」といったそうですが、何故かこの逸話が好きです。
小説には オカルト、SF、荒唐無稽、ファンタジーと様々なジャンルがありますが、クリエイターでありブレゼンターだと考えると、兎に角、心で感じたものを書いていくしかないなと思って書いています。アスリートも、みんな、今、やっていることが実を結ぶかどうか分からずにやっているようで、だから私もアスリートのように書き続けるしかないと思っています。
でも自由に書ける分、落語よりいいかなと思っています。例えば原稿用紙に書いてあることと読むことは出来ますが、それでは落語にならないので丸暗記しなくてはなりません。
これに対し、ハプニングを取り仕切るバラエティーのパーソナルティーは如何にコントロールの悪い球でも捕球して、コントロールをよくするスキルで、それを「分かるよ、それで」と相手にふると、雛壇芸人は、「よし、このネタで良かった」という合図とみて、ルー語(ルー大柴流)で言うとキャッチ、キャッチ、キャッチします。
ところが、紳助さんは、むしろ逆で拙い話を「お前、空気読めへんな、何でふっとるの分からんの」と言って、ノッチさんあたりは奥さんも連れてくるというタイプで、つまり、その誉めて育てるタイプと叩いて育てるタイプと手法が異なります。
さんまさんの場合は何か叩くような物をもっていて、それを叩く事によって、ニュートラルにし、紳助さんはネクタイをキュキュと直してニュートラルにしています。みなさん、それぞれ得意技がありますが、さんまさんと、紳助さんに一度落語をやって貰うと、もっと何かが分かるのではと思っています。
恐らく、こんな事を思う人は少ないでしょうが、これが所謂、私の感性というものです。結局、クリエイティブの仕事というのは、独自の視点が必要なのかもしれませんが、何と言っても、相撲で言えば序の口, 序二段, 三段目, 幕 下, 十 両, 幕 内, 小 結, 関 脇, 大 関, 横 綱.とありますが、序の口にもなっていませんし、
落語で言えば、前座 二つ目 真打と、あって前座にもなれないのが現状なので、修行あるのみということです。
ただ、時代の恩恵で、集英社と小学館で作った。ドリームトライブにエントリー出来て拙い小説でも読んで貰える機会があることは感謝しています。道具が時代をドンドン変えます。間違いなく、アップルの「iPad」は爆発的ヒットとなり、孫さんが、教科書を電子ブックでという構想にも期待しています。
なにしろ時代は落語からバラエティとなり、映画監督も、お笑いタレント出身者が増えて政治家も実力より知名度の時代へと変わっています。しかし、それは良いことなのか悪いことなのかは、まだ結論を出すには時期尚早です。兎も角、変化の早い時代に生きているのだなと実感します。
*左の柱の上にも載っていますが、下記が現在公開中の小説です。
勇気凛々⇒ -算盤と父親- -三島武君 小4の場合-