国盗り物語
最近、国盗り物語を読んでいます。何とはなしに読み始めたのですが、戦国時代特有の群雄割拠の様相が面白くて今は最終巻(第五巻)を読んでいる途中です。この時代も幕末も世が大争乱したという点は似ていますが、幕末は思想の戦いに対して戦国時代は誰が天下を治めるかといった熱気が読んでいると感じられます。
さて、この国盗り物語は始めは蝮こと斎藤道三から始まるのですが、その斎藤道三は息子によって途中で殺されてしまいます。そして次に織田信長編が始まるのですが、どちらかというと明智光秀にスポットがあたっている気がしました。
信長は道三にとって娘婿、光秀は義理の甥。この道三イズムを引き継いだ二人は、とても対照的で、やがては本能寺の変によって運命的な結末を迎えます。私は光秀についてあまり良く知らなかったので、こういう人だったのかと初めて知りました。光秀は戦国大名と言うより特に青年期は幕末の行動家のように感じました。足利幕府復興の為に東奔西走しているという点では佐幕派のように見えます。およそ戦国時代らしからぬ人なのだと思いました。
光秀は教養高く、温厚な人柄で京都の知識階層に受けていたようですが、その光秀が何故、信長に謀反したのか。今もって真相は明かされていません。日本史の謎の一つと言っても良いのではないでしょうか。以前は悪臭のする魚を出して家康の接待役を解任され、面目を失ったとか、自分の領地を取り上げられ敵地に国替えを命ぜられたという事が原因であるという怨恨説が主流だったと思うのですが、それは創作物が多くその説を取り入れた事による先入観念のようです。
では、他にはどんな説があるのか、私の気になった説をピックアップしたいと思います。野望説(自分が天下をとる為)、焦慮説(光秀は織田氏譜代の家臣ではない新参者であり、信長に仕えた期間も十数年ときわめて短期間であるにもかかわらず、家臣団の中で有数の重臣となり、しかし次々に佐久間信盛・林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝といった重臣が大量追放された事から、明日は我が身と恐れた為)、朝廷説(黒幕は朝廷。信長の増長を恐れて)、イエズス会説(イエズス会が日本の政権交代をもくろんだ)、秀吉説(最も利益を得た者を疑え)、徳川家康説(天海僧侶が光秀だったのではないかという説とも関連して)
起こった出来事は一つですが、これだけ様々な「真相」が唱えられています。