販売のトヨタ、技術のトヨタ
フロアマットの欠陥により大規模リコールがあったトヨタ。米国では不買運動も起こりましたが、先だっての発表ではトヨタは2010年の世界販売台数(グループのダイハツ工業、日野自動車を含む)は、前年比8%増の約841万8000台(速報値)と、米ゼネラル・モーターズ(GM)の838万9769台を僅差で抑え、3年連続で世界一となりました。
トヨタの販売台数が前年実績を上回ったのは3年ぶりで、一方のGMはトヨタを超えるペースで販売が回復しており、両社の差は09年の33万台から3万台弱に縮まりました。海外部門は、大規模リコール(回収・無償修理)の余波で北米や欧州で伸び悩んだものの、アジアなど新興国が好調で7%増の621万4000台だったそうです。(読売新聞より)
やはりトヨタは凄い。アンフェアな戦いを強いられる中での世界一。日本の誇りです。こういうニュースを何故、テレビで報道しないで大相撲ばかりなのか腑に落ちません。
何故、トヨタは強いのか。ずばりトヨタ主義、日本主義を貫いているからです。たしか日産のゴーンさんは9億近くの報酬だそうですが、これは社員のやる気を無くさせると思っています。だってゴーン氏は車一台作っているわけではありませんから。組織はサイレントマジョリティをきこうとしないと飛躍できません。
嘗て、販売のトヨタ、技術の日産と言われた時期がありました。簡単に言えば、トヨタは商売は上手いが、車自体は日産の方が上だという意味です。しかし、日産が転けて、トヨタは世界一になりました。確かにトヨタは去年あやがつきましたが、一つの越えなければならない正念場です。トヨタと日産は何が違ったのか、トヨタは欧米の思想に惑わされませんでした。日産は労組が強くなり左翼に、上層部は、世界戦略を考えました。
日産はフェアレディをアメリカではダットサンという称号で売りました。アメリカ人はダッツンといってダットサンを呼びました。特にフェアレディZは人気が高く、ダッツンのZファンは多くいたとか、ところが、それをニッサンのZにした事からダッツンの人気はなくなっていったと聞きます。ダットサン由来は開発者の田(デン)さん、青山さん、竹内さんらの頭文字からDZT号としました。これはいい、脱兎の如く走り抜ける。そして、更に早い子供という意味でダットSON(息子)。しかしソンは得の損に通ずるので脱兎の如くの太陽でダットサンになりました。
トヨタのクラウンは以前トヨペットクラウンといいました。戦後、豊田発の小型車の発売の時に一般で公募してトヨペットとなりました。しかし、トヨタが大きくなるにつれトヨペットはトヨタに鳴っていきました。車種が増えていったこともあったでしょう。新入社員はパブリックカーと言う意味でパブリカ、少し給料がたかくなるとカローラ、役職になるとコロナ、重役になるとマークⅡ、そして最後は、いつかはクラウンというわけです。トヨタは豊田佐吉が「私は織機でお国に尽くした。お前は自動車で国に尽くせ」と息子の喜一郎に託しました。つまり国を背負いました。だから、トヨタ藩でした。愛知県の豊田市の由来は豊田佐吉を生み出した事にあります。
それ以前は挙母(ころも)市でしたが、自動車で栄えようということもあり、1959年豊田市に改名しました。これでトヨタ社員はトヨタ一家になりました。だから労組はありますが、経営陣も嘗ては従業員という考え方で親子一体の労使一体が出来ました。労組というのは経営者敵だという考え方ですが、日産だと敵は経営陣ということになります。何しろ、トヨタは町工場からコツコツと今の地位を築きました。一方、日産は国が支援しました。何しろそもそもは日本産業(財閥)でした。それで前述の「販売のトヨタ、技術の日産」と言われた訳ですが、今は「販売のトヨタ、技術のトヨタ」といったところでしょうか。