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プロレス

  不思議な符号というものがあるものです。誰かがプロレスが人気のある時、日本は景気が良かったといいました。調べてみると、その通り、力道山の頃は神武景気。これは昭和29年(1954)から昭和32年(1957)まで続いた好景気をいいます。この時は力道山が空手チョップ、ロープに振ってからの水平空手チョップで、シャープ兄弟、ボボブラジル、ルーテーズと戦っています。その後の岩戸景気は、1958~1961年迄の3年間で東洋の巨人ジャイアント馬場が後を引き継ぎ、16文キックを外人の胸板に。身長コンプレックスのあった日本人にアメリカ人より大きい2m8㎝は実に頼もしいものでした。そして、いざなぎ景気、昭和40年(1965)から昭和45年(1970)にかけて。このときが、馬場の16文キック、ロケット砲、脳天唐竹割り。もう一人アントニオ猪木のロープ最上段からのニードロップ、コブラツイスト、このタッグコンビが巨人のON砲もあって、馬場のB猪木のIでBI砲と呼ばれました。それが、Bが全日本プロレス。Iは新日本プロレスに分かれちゃうんですね。もし日本組が争うことなくひたすら外国人をやっつける事に集中していれば今のような状況ではなかった可能性が大です。

日本の歴史は分かれて良かった事はありません。源平の昔から、南北朝応仁の乱、天下分け目の関ヶ原。大阪冬・夏の陣、勤王と佐幕。陸軍と海軍の不仲そして大東亜。良かったことなんて一つもないでしょう。

  それを小泉大先生は「私の方から自民党をぶっ壊す」といいましたが、元締めは束ねることが仕事なのに壊すことを考えたから堪りません。国民新党みんなの党、たち上がれ日本、新党改革と一つが5つに割れました。小泉先生と小沢先生は同い年で慶應大学出身。それなら「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の福沢諭吉翁の教えは染み込んでいなければなりません。特にこの人達は政治家ですから尚のことです。しかし彼らの行動は「天は人の上に人を、人の下に人を造られり、そして我は天に選ばれし者なり」という切り口で仕訳すると、今までの行動履歴が理解しやすい訳です。個人に一つの精神、二つ以上だと精神分裂。或いは多重人格症です。それが国家になると、どうして沢山あるといいのか、例えばソニーが、トヨタが、内紛でCEOとCOOが対立なんて出たら株は売り叩かれます。それが国だといいというのですから分かりません。

慶応で学んだ同じ年の二人は不仲でもありました。この二人がいなければ民主党もありませんでした。社会党は潰れたし自民党共産党公明党と至極分かりやすかったわけです。二人でGDP400兆は損失させたでしょう。

私の書いた小説「私だってプロレスの味方です」では

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「みんな、どうした。タコみたいに顔が真っ赤だぞ。何だ、このくらいの酒で。大体なあ、猪瀬が馬場と戦いたいと抜かしたのが間違いの元だ。日本人は力を合わせ外国人を叩き潰す。それが日本の心だ。BIコンビが続いていたら国民栄誉賞どころかノーベル平和賞も貰っていたんだぞ。お前なあ、反省しているのかバカめ! 草葉の陰で馬場が泣いてるぞ、ヒック。だいたいだな。二大政党がいい。アホか、日本は源平の昔、南北朝時代応仁の乱と国が二つに割れた時に民が苦しんだんだ。諸君らの会社で社長派と専務派に分かれたら君らの社の実績は上がるのか。何、分からない? お前はバカかぁ? しょうがないなあ、私がアメリカの大統領になるしかないかなあ、白の後は黒、そうなれば次は黄色だ。美しきアジアンビューティ、私しかいないじゃん。おい、そこ何がおかしい」

と女主人公に言わせました。

プロレスの存在価値は日の丸飛行体が如何にB29をやっつけるかにこそ興味がありました。その熱気が伝わってくるのが下記です。今のテレビより小さい画面に当時、日本の男は風呂も行かず力道山を応援します。終わっても立ち去らなかった。少年は電柱によじのぼってまで見ています。

  この時の日本人の思いは一つだった訳です。

http://www.youtube.com/watch?v=h_T1DWvY0cI
金曜の夜 日本は燃えた 戦後の日本とプロレスの歴史

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