同音異義語の漢字
小説を書いていて漢字で悩むことがあります。
例えば「のこす」。 残すは残飯の残に通じるように感じます。科学は原爆を遺したとは書きたくないんですね。やはり原爆を残したなんですね。 日本人は”精神文化”を残したとは書きたくないですね。ここは日本人は我々に精神文化を遺してくれたと書きたいわけです。
残すは物質、遺すは精神的なものと解釈しているようです。しかし精神でも良い物と悪いものがあります。日本精神とは生きて生き抜くことだという家訓を遺した。日本の国に共産主義を残したとしたいわけです。つまり残すと遺すで作者が○とみているのか×とみているのかが分かる。将来、物質でもインターネットでも、20世紀の後半、情報革命をPC、インターネットというもので遺してくれたというようになるといいなと思っている訳です。つまり物質であっても精神であっても○なら遺す。×なら残すという解釈です。
「言うと云う」
今をあらわしているときは言を、しかし、彼女 確かそう云っていたよというと過去を感じさせると思ってそうしていたのですが、そこまで誰も読まない。煩わしいよというので、今は言で統一しています。
夫と良人。夫婦仲がいいのは良人を使いたいのでが、りょうじんって何?といわれてから夫にしました。
「怖い」と「恐い」
「怖い」は主観的に怖い。
「恐い」は客観的にも恐いという意味。
なるほど 立心偏(りっしんべん) 心が入ると主観的ですか、
「十分」と「充分」これも悩むんですね。更に十二分もあります。
「十分」は割合として100%という意味で、「充分」はその職責を果たせるだけの能力が足りているという意味。 十二分とは120%を想定して十分を超えている。強調しているのでしょう。
「かかわらず」という言葉ですが、これも「関・係・拘」と三つあります。最後の拘は余り馴染みがないですが、悩みどころはこの三つの厳密な定義がないように思われるところです。
「係わる」は係り結びという言葉があるように関係するという意味があります。しかし「関わる」も関係するという意味で分類が難しいところですね。「それにもかかわらず」という言葉は本来は「拘わらず」が正しいようですが、変換すると「関わらず」と出てきたり、拘わらずという馴染みのない言葉を使うのもなあと悩みどころです。
青も蒼、紺、碧とあります。
蒼⇒くすんだ青色
紺⇒紫色を帯びた深い青色
碧⇒青緑色
いやあ、日本語は奥が深いですよね。
気の置けない友だから、なんて子供の時、危ない奴の事だと思いましたね。だって気を置けない。つまり安心できないと連想しませんか。でも、”気の置ける”という言葉が”遠慮する”とか”気遣う”という意味なので気の置けないは遠慮する必要がないという意味になんですね。
あんまり考えると、小説が書けなくなるだわさ。 そうじゃあなくても対して才能がないんだから、この辺りでやめておこう~と。この場合、止めておこうだよね。辞めておこうは職業の場合だった。あまりに分からないときは、やめておこう。あぁ平仮名があると便利だわ。
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