オウム裁判終結
オウム裁判終結 事件教訓に教団監視を怠るな(11月23日付・読売社説)
16年余りに及んだオウム真理教を巡る刑事裁判が終結を迎えた。
最高裁は、1995年の地下鉄サリン事件などに関わり、1、2審で死刑判決を受けた教団元幹部、遠藤誠一被告の上告を棄却する判決を言い渡した。これですべての被告の判決が確定する。
判決は遠藤被告の犯行について、「法治国家に対する挑戦」「反社会的で、人命軽視も甚だしい」と指弾した。オウム事件すべてに同じことが言えよう。
坂本堤弁護士一家殺害事件(89年)、松本サリン事件(94年)、地下鉄サリン事件――。高学歴の若者も多かったオウム信者が引き起こした凶悪事件や無差別テロでは、29人の命が奪われた。負傷者は6000人を超えた。
……いやあ長いですね。1995年、私は保育園に通っていました。祖母が1月13日金曜日に亡くなって4日後に1995/1/17の阪神淡路大震災で、二月に上九一色村(かみくいしきむら)に機動隊が突入したのをぼんやりと覚えています。それから17年ですよ。長すぎませんか。坂本堤弁護士33歳、妻29歳、確か奥さんも弁護士でしたよね、二人の間には一歳の男の子がいました。堤さんの奥さんは、殆ど勉強の毎日だったのでしょう。息子さんは生きていれば、そろそろ18歳でしょうか。やはり両親の影響で法学部を目指していたかも知れません。
ところが死刑は確定しても執行はされません。浅間山荘の場合、山荘に立て籠もった連合赤軍の永田洋子はリーダー森恒夫と結託し革命ごっこの名を借りて男一〇人と美人の女仲間四名の一四名の同志を、嫉妬により殺害し続けた。例えば死者三名のうちの一人、金子みちよ(二四歳)の場合、妊娠八ヶ月で胎児を庇うようにお腹を抑えて死んでいて死因は凍死、胃の中は空っぽだったといいます。
永田は二〇一一年二月に東京拘置所で脳萎縮、肺炎で六五歳で死にましたが、何故、死刑にしなかったのか、左翼の弁護士達が刑事訴訟法の規定に従い、死刑を執行しないよう法務省に申し入れていたからだそうです。
オウムの松本智津夫こと麻原彰晃の死刑が確定したのは06年9月。その後、再審請求が出されたが東京地裁が09年3月に棄却し、東京高裁も09年7月に棄却、さらに最高裁も2010年9月に特別抗告を棄却しています。 刑事訴訟法では、死刑は判決確定の日から6カ月以内に執行しなければならないことになっていますが、法務大臣の多くが死刑執行の書類にハンコを押すことをためらい、現在、死刑囚は120人もいて原則として判決の確定順に執行されますが決まりがあるわけではなく、いつ、誰に執行するか、すべて法相が判断することになっています。
判決確定から4~8年後に行われることが多く、再審請求している場合や共犯者の刑が確定しない場合は執行しないことになっています。殺人者が二重三重に護られているのが現実です。私には人殺しの人権保障が余りに大きすぎると思うのですが
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