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今年一年、有難う御座いました。

 今年最後のブログになりました。

「名もなき作家志望のブログ」をいつも読んで頂いている皆さんに感謝申し上げます。人生の成功者は、地位を残した人なのか、財を残した人なのか分かりませんが、大半の人が人知れず生まれ、そして死んでいきます。しかし国はそういう名の無き人々によって支えられていることを忘れています。

 名前出しちゃあ悪いですが、鳩ぽっぽさん、あっけら菅さん、ドンの小沢さんなんてラーメン一杯、米一粒作っていません。本来政治家は誰もがラーメンを気楽に食べれて良い米が出来るようにするのが仕事の筈ですが、ラーメンも節約、米は悪くなるばかりの行政に血眼です。何がトロイカ体制ですか、ボロボロの三頭立て馬車で日本はガタガタです。

  私は何処の国民であっても自国に誇りを持ち、生きて、小さな一粒でもその国に貢献して死んでいければ人生の成功者だと思っています。しかし今の日本で日本人に生まれて良かったという人がいません。罪無き君が代、物言わぬ日の丸に罪を擦り付けて日本人を跳び越え世界人を目指す。地に足のつかない現政府ですが、中国のバブルが既に始まっているように民主党は崩壊が起きているようです。国会議員が常に考えていること、それは次の選挙です。新橋の街頭演説では罵声が鳴り響いたとか。今、選挙をしたら民主党は大敗することでしょう。それを見込んで離脱者が来年は出るかもしれません。

 嘗て、朝生で日本の坂本龍馬は誰だというようなテーマで討論していました。(2010年5月 1日 (土)朝まで生テレビ「出でよ!平成の龍馬」を見てに詳細)

  その中で、田原総一朗さんが吉田松陰は「一君万民」といった。これは『差別』だと決めつけました。私は怒りました。世が世なら、押っ取り刀で駆け付けそっ首叩き落としたい心境になりました。恐れ入ったのは他のパネラーが異論一つ言わなかった事です。自国に誇りを持たず、新自由主義だとか、MBAだとか、リスクマネージメントだとか、昨年はドラッカーを読んだ女子高生が甲子園で優勝するとかの小説があたりましたが、それなら竹中平蔵大先生が、小渕内閣から日本の経済を担当して小泉内閣では一人経済を牛耳ったのですから大変壮大な実験が行われていたわけですが、結果は何もかも失いました。 天皇制はコストが高いとかいうように、全てコストで考える米魂米才の経済論理の破綻が続いています。

 さて、あのときも結論の出ない番組での坂本龍馬は結局、出演していた事もあって、ホリエモンが一位でした。その現代の坂本龍馬は収監中ですが、出てきたら宇宙ビジネスでもするんでしょうか。本人は至極、ご満悦の表情だったのが印象的でした。龍馬のやった薩長連合は、今で言えば、米国と中国を握手させたくらいの奇蹟的実証です。

 そして龍馬が尊敬したのが吉田松陰先生でした。吉田松陰先生ほど、差別を心から嫌った人はいませんでした。それでは松陰先生が説いた「一君万民」をどう読み解くか、夫婦一体、親子一体、国家と国民が一体化する道を一君万民と説いたと解釈します。それは差別ではなく区別です。組織に上下のない世界はありません。共産主義が実証しています。来年はロシアで大統領が変わりますが、まぁ、再びプーチンさんでしょう。中国は選挙もありません。北は三代目の金日成金正日金正恩の一子相伝王朝で、どこが平等ですか。

 日本なんか戦後、鈴木貫太郎首相から始まって、私が記憶にあるだけでも海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田で34人ですよ。日本方が余程、共産主義というものです。余談ですが、巨人の監督は、三原、水原、川上、長嶋、藤田、王、堀内、原さんで8人です。やはり勝つ事が宿命の組織はそう変わっていません。

 田原総一朗大先生がいった差別は蔑視であり区別は仕訳だと思っています。吉田松陰先生の「一君万民」とは国の為は自己の為、自己の為は国の為、一個人が海外で侮辱され、惨忍に殺害されたなら、国そのものが個人に代わって乗り出して行くという親子一体、君民一体の表裏一体、不離一体の関係であります。

 松陰先生ほど弱者を思った政治家はいません。松陰先生初めての弟子・ 金子重之介は松陰先生と共にペリーの黒船にのってアメリカに密航する事を企てます。しかしペリーはこれを拒否、この時、松陰先生と金子が、もしアメリカに渡っていたら、日本の歴史は変わっていたかも分かりません。しかし密航出来ず二人は奈落の底に。二人は圧倒的なアメリカの軍事力を研究しなければ日本に明日はないとみての行動でしたが、幕府は海外渡航を御法度で死罪に匹敵する大罪と決めていたのです。

 深夜 地元の船頭が漕ぐ小舟で海に乗り出す。しかし黒船に近づくにつれ船頭が怯え出す 漕ぎ手が拒否してはどうしようもない。この失敗が松陰の闘士に火を付けます。「志は更に強くなった天が私を試しているのだ」二人は諦めずに別の船頭を口説き落とすものの、しかし当日すっぽかされてしまう。今度は上陸していた黒船船員に手紙を渡し迎えに来て欲しいと書くも当然失敗。

 遂に自分達だけでいこうと覚悟を決め深夜、小舟を盗み黒船へと、しかし初めての舟漕ぎで200メートル沖の黒船に中々近づけない。なんとか黒船にいくとアメリカに行きたいと書いた紙を見せるしかし密航者を受け入れれば幕府との交渉に支障がでるとペリーはこれを拒否。ペリーは「この事件は二人の知識欲を示すものとして実に興味深い。日本の全土はなんと可能性を秘めていることが、なんと有望であることか」といったとか。

 まあ、能書きはいいから、どうして密航を許さなかったんだというのが私の意見ですが、でも歴史は難しい。松陰先生が安政の大獄で亡くなったから草莽崛起奇兵隊が起きたかもしれません。この頃から松陰先生は松陰二十一回猛士と名乗る。つまり成功、失敗を考える前に行動を起こす。しかし行動の代償は重かったわけなのであります。

 二人は捉えられ松陰先生の獄は武士用で一人一部屋。食事が与えられ寒さは防げる。ですが金子は足軽で、長州では足軽は武士と認められず階級は武士の下でした。よって岩倉獄。環境が悪く食事不十分。面会、手紙など一切駄目。一つの志で結びついた一人の師と弟子は歩いて10秒ほどの距離なのに運命が分かれました。

 金子は病を患らいますが、岩倉獄には医者も呼べない。これを人づてに聞いた松陰先生は食事を絶ち金子の回復を祈るが悪化するばかり。金子を家族と合わせてやってほしいと訴えるもきき入られず、牢に入って三ヶ月後、金子は息を引き取ります。25歳の若さでした。その夜 松陰は夜通し噎び泣きます。身分が違うだけで自分は生き残り、金子は無惨な死を迎えた。身分の低い者が志を果たせない。そんな国に疑問を覚える……。

 今、日本を語る連中はあまりにも蒙昧無知で米魂米才、韓魂中才すぎます。日本人であれば、和魂漢才、和魂洋才が原則です。あくまでも他国の良いところだけを肥料程度に取り入れる。あくまでも幹は「一君万民」でなければなりません。 松陰先生というと、落ち着きがあって順々と説く人を想像しますが、全く違います。弟子をあなたとよび、自分をボクといったのですから、身分制度の当時では異例の人です。

 何しろ『動けば雷電の如く、発すれば風雨のごとし』と言われた高杉晋作でさえ、「松陰先生、まだ時期が到来しません」と諫めると「諸友らは興業をなすつもり、僕は忠義をなすつもり」と詰りました。今風に言えば、君は功を立て出世したいのか、僕は違う。僕は国を思う忠義で考え行動している。下らんことをいうのなら絶交する」というのです。何しろ、自らを二十一回猛士!と呼んでいます。つまり最低でも21回は命懸けで行動してみせるという訳です。今からたった150年前には、そう言う人がいました。

 そういうわけで今は命を狙われる時代でもないですし、来年もせめて、松陰先生の万分の一でも毎日猛士!でいきたいと思っています。来年も引き続き読んでいただければ光栄の至りで御座います。

吉田松陰語録】

                        
至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
(至誠をもって対すれば動かすことができないものはない)
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志を立ててもって万事の源となす
(何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる)
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志士は溝壑に在るを忘れず
(志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟しているものだ)
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己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたりず
(自分に真の志があれば、無志(虫)は自ら引き下がるものだ)
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凡そ生れて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
(人として生まれてきた以上、動物とは違わなければならない。人間は道徳を知り、行なわなければ人間とは言えない)
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体は私なり、心は公なり。 私を役して公に殉(したが)う者を大人(たいじん)と為し 公を役して私に殉う者を小人と為す。
(私を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、反対に、私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である)
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人賢愚ありと雖(いえど)も各々十二の才能なきはなし 湊合して大成する時は必ず全備する所あらん
(人には能力の違いはあるけれども、誰にも長所はあるものである。その長所を伸ばしていけば必ず立派な人になれるであろう)
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死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
  (死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。
   生きて大事を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよい)
 ※「男児たるものどう生き、どう死ねばよいのか」という問いに対して。
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