文鮮明死去
統一教会創始者、文鮮明氏死去
2012.9.3 11:47 産経ニュース
世界基督教統一神霊協会(統一協会)の創始者である文鮮明氏が3日、肺炎などの合併症のため韓国京畿道加平郡の病院で死去した。92歳だった。統一教会が明らかにした。
文氏は1920年、現在の北朝鮮平安北道定州出身。54年、統一教会を創設して「教主」となり、ソウルの大学などを拠点として学生や知識層を中心に急速に信者を増やした。58年に日本、59年に米国に支部を開いたのを皮切りに欧州など世界各国に活動を拡大。韓国メディアによると現在約190カ国に約300万人の信者を持つ。
文氏一族は韓国では企業グループを保有する実業家一家としても知られる。政治にも注力し、68年には韓国と日本で反共産主義団体「国際勝共連合」を創設した。反共活動の一方で、90年には旧ソ連を訪問、ゴルバチョフ大統領(当時)と会談。また、朝鮮半島の南北統一を唱え、91年には訪朝して金日成主席と会談した。
統一教会は、日本では「霊感商法」による詐欺的被害や大規模な合同結婚式で知られ、教団と、「子供を洗脳された」とする信者の家族との間でのトラブルが社会問題化している。
あの文鮮明が死去しました。”あの”といっても、詳細を知らない人も多いかと思います。
統一協会、またの名を勝共連合(原理運動)。その場その場で名を変えていますが、全て一体異名です。今から四〇年前、親の財産まで統一協会に貢ぐ日本の若者が多く出ました。当時「親泣かせの原理(統一協会)」騒がれ、何故、若者は餌食にされたのかというと、日韓併合の際、梨本宮片子(まさこ)という皇族の女性が、韓国の王家に嫁いだ。文鮮明はこれを利用し『韓国は夫たる国、日本は妻たる国である。その妻たる国が夫たる国・韓国に何をしたのか』として、日本の学生を洗脳していき、この術中に嵌った学生達は、文鮮明を嘗てオウムの信者が麻原を信じたように盲目的に信じ『韓国に申し訳ない事をした』と二束三文の壺や印鑑や掛け軸を日本人に売りまくって文鮮明に貢ぎました。
文鮮明の目的は徹底的に日本の金をむしり取る事。当時は学生運動の最盛期で全共闘に対する学生組織が少なかった事から、勝共連合(原理運動)を結成し政界にアピール。これを鵜呑みにしたのが、岸伸介と佐藤栄作といった元首相達で彼らは共産主義妥当を声高に叫んで、全共闘に対する学生集団が現れたという文鮮明の幻術に嵌りました。しかし文鮮明の腹は韓国・台湾・日本で、中国・北朝鮮を叩き、最後は韓国一国のみを覇権国とする思想。当時の自民党は、これを支援したのだから、文鮮明の韓国を中心とした世界戦略に乗せられていたという訳です。
統一協会は『国際勝共連合』を結成し、日本の右翼陣営と手を結び、政治運動を開始し『世界平和教授アカデミー』の設立による保守系の学者・研究者の抱え込みに成功した。北は『北大学生新聞』から、南は『九大学生新聞』まで、全国で二十六紙を数える原理系学生新聞の創刊など、全面的な大学浸透キャンペーンを行なうまでになりました。
有名なところでは、一九九二年、ソウルで行われた合同結婚式。元アイドルの桜田淳子や元オリンピック女子選手の姿がそこにはありました。当時は連日ワイドショーで報道されましたが、その結婚相手は自分の意志で決めた訳ではありません。それでは誰が決めたのか。文鮮明です。当日まで男であれば女。女であれば男。これ以外は分からない。相手が黒人か、白人か、年齢すら分からない。そうなれば、当然、言語も違う。しかし、彼らは喜んで、これに従いました。まさに北には将軍様・金正日が、南には神・文鮮明がいた。多くの日本の若者が、この文鮮明に人生を捧げ、その後多いに狂わせられ、今も尚、街頭でタダで手相を見るとして声を掛け、その内、言葉巧みに、あるビルに導いていく。そこから最初はタダだった筈が、御利益の印鑑等を売り付けられ行き着く先が統一協会、教祖・文鮮明という訳です。