朝日新聞社を検証する①
朝日新聞というのは戦前、大東亜戦争に最も賛成した新聞社でした。ところが敗戦後豹変するんですね。どういう風に豹変したか、私は小説にこう書きました。
1982年、朝日新聞が高校の歴史教科書で中国への侵略を進出と書いているという記事を掲載した。宮澤喜一当時官房長官は「これを契機に、近隣諸国に譲歩して教科書検定を是正する」と発表した。その事から歴史教科書問題が騒がれる事になっていくが、9月2日、大学教授の渡部昇一さんが『万犬(バンケン)虚に吠えた教科書問題』として月刊誌『諸君!』に真っ赤な捏造報道であったと書いている。新聞の鉄則である5W1H(いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どうしたか)は一切ない大捏造事件であった。
大戦前はソ連のゾルゲが朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)を共産主義のゾンビにし近衛文麿まで信者にした。60年安保は共産党が全学連を先導し、70年安保の1968年はソ連のレフチェンコが行脚し新聞各社の記者をゾンビにして日教組を動かしていた事は、その後レフチェンコがアメリカに亡命して明らかになっている。1968年、日本は風前の灯火であった。それと同じ状況が現代だと思うが、そうは思いたくないのが人情であるが、過去を検証すると余りにも危ないと思う。
中国の歴史教科書に南京大虐殺は1978年(昭和53)まで、その記述がない。中国名「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」(日本では南京大虐殺紀念館)は抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。中に入ると各国語で『犠牲者30万人以上』と強調され書かれている。その建設の経緯は1980年代、社会党委員長だった田邊誠が南京市を訪れた際、当館を建設するよう中国に求めた。中国共産党は旧社会党から3000万円を貰い受け同記念館が建設されたが建設費は870万円であった。余った金は共産党関係者で分けてくれと言った。これを契機に中国は中国全土に日本の中国侵略記念館・記念碑を建立して愛国主義教育を推進していった。
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