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キリシタンと鎖国

昨日のNY株 16643 (-11.76)

 新しもの好きの信長が面白いといったかどうか分からないがキリスト教を認めた。そこからキリシタン大名が現れ現在では高山右近小西行長大友宗麟織田有楽斎黒田如水有馬晴信等がその代表となっている。

 余談ながら宣教師達はイエズス会カトリックの修道会)でプロテスタントとの対立抗争があり、世界勢力図として日本をいち早く取り込みたかった。一方、戦国大名キリシタンになると南蛮貿易、武器の援助などで薬も入ってくるというお互いにとってメリットがあった。

 しかし秀吉が天下を取るとバテレン追放令をだし、棄教しなかった大名は改易となる御触れを出した。それは徳川時代になっても続き、有名なところでは島原の乱天草四郎時貞16歳が37000人が集結させて壮絶な戦乱になったと伝わる。

 この後、三代将軍・家光は鎖国を決める。正確には出島だけは貿易を許したが相手国は中国とオランダだけ。中国は儒教の国であり仏教の国、故にキリスト教は布教しないだろうと読み、オランダにはキリスト教を布教しないという約束をして貿易を行っていた。

 今から見ると何故オランダなんだ? と思うが当時はドイツもフランスもイギリスも出てこないオランダの力が強かった。オランダと言えば今の日本人ではチューリップと風車のイメージだろうか。衰退の原因として人口増加率が低かった。中央の機関が薄弱で管理、監視機能が働かなかった。こうした要因で横綱の地位をイギリスに取って変わられたというのが定説らしいがイギリスのスティーブンソンの蒸気機関車の発明による産業革命が大きかったのだろう。

 さて本論に戻って、信長がキリスト良しとしたことが日本に取って良かったか。つまり、信長の嗜好によるキリスト大好きという個人的な影響が鎖国になった事は確かである。何故、信長はキリストを容認したのか。

 私見では、信長は比叡山延暦寺を焼き討ちし、老若男女、3千人を殺している。これは神仏に逆らう行為でとても考えられない行動だ。だから本能寺で信長が殺されたとき比叡山の祟りだといったと思う。つまり信長自身も実は怖かった。仏教の呪縛と天皇制への疑念。そこでキリストを良しとしたのではかったのかと考える。

 例えば村山談話は村山総理が死んでも残るし田中角栄が死んだ今もロッキード事件はこれ先も言われる。善政は忘れ去られ、悪政は残るとでも言うべきものだ。

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