流通業界の話
戦後、大型百貨店の事をデパートメントストアーとはいわず和製英語でデパートといった。英語に馴染みのない大正世代は語源も分からないからでバートで通った。当時三越は女性の憧れの企業で今では考えられないがエレベーターには生え抜き美人が乗り込み
「次は五階、寝具、家具、着物売り場で御座います。お降りの方お知らせください。はい、五階に止まりました。次、六階にまいります」と右手の白手は華麗に動いた。
そういえばバスもそうでバスにはバスガールが乗ってエレベーターガールのように乗降客を捌いた。それがワンマンカーになり、エレベターガールは消えていった。
時代と共に関西のデパートでダイエーが飾らないコストカットで店舗もあればいい。兎も角も商品を安くというスーパー、主婦の友が開店、それがダイエーの発祥である。すると東の東京でも西友ストアーが出てきて東の西友、西のダイエーで三越を猛追して遂に百貨店の雄の三越を抜いてダイエーがトップに躍り出た。ダイエーも西友ストアーの親会社とも云うべき西武もパリーグに球団を持つほど順調だったが、バブル経済の時に不動産投資に失敗、ダイエーは倒産、西友はアメリカ外資に下った。
そして現代はコンビニ、そして土日ともなると一家で車に乗り大型量販店、ディスカウントショップ。そしてモールとなるとこれはもうレジャーランドで夫はパチンコか本屋、妻と娘はショッピング、息子はゲームセンター、終わったか、終わったわとケータイ、スマホで連絡を取り合い。それじゃあいつもの場所でといってそこは寿司あり、ピザ有り、カレーもハンバーグもラーメンもそれぞれが自分の好きな物をテーブルを囲んで食べられる。それでどうなった。駅前は寂れシャッター街へと変貌凋落していった。そこへテレビ通販、ネット通販という仮想店舗が起きてきて、さあこれからどうなるというところだ。というわけで流通戦国時代だが70年、全く変わらないのが新聞、テレビ、ラジオの雑誌の一系列で読売新聞、日本テレビ、読売テレビ、ラジオ日本、週刊読売、月刊読売と新規参入を許さない。これで情報化社会というのは実におかしい。