日本経済の話
以前は不況といったが今はデフレという。デフレとは生産者つまり売り手が商品、製品を作っても消費者が買わない。売れなければ一円も入ってこないから売り手はダンピングして安売りをする状況をいう。それでも日本はいいことがあった。
日本経済の絶頂期は1995から97のとき何と日本のGDPは世界GDPの17%を占めていた。これはアメリカの三分の二に匹敵した。先進国7ヶ国のG7でいえばG7とは米英独仏日伊加だが、日本が断トツの1位だった。それが20年後の今、カナダと最下位イタリアの間の6位でGDPのシェア率は5.8% 3分の11に落ち込んだ。
中国は15%あるというのにである。この差は世界の成長率が3のとき日本は4分の1の0.7%の連続だからその差になった。
なんでそんなに落ち込んだのか、それは個人に体質、気質、血液型があるように国にもある。1970年後半にヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著した。
そこで日本式経営の素晴らしさを説いた。つまり意識でいえば1970年代の「一億総中流時代」というもので日本人の幸福感は、アメリカなら呆れるほどの豪邸にプールがあることがリッチだが、狭い日本でそれをやったら妬み、嫉み、僻みの視線を向けられてしかも尊敬されない。
「おい久しぶりに一杯やろうぜ」
「そうだな、ああ、あそこの焼鳥屋はどうだ」
「そこにしよう」これがいいのである。
「おい焼き鳥喰いに行こうぜ」
「一本百円以上、ビールも高いし俺はいいや」或いは
「行かない。肉はフォークとナイフとワインでないとダメなんだ」ではノミニュケーションにならない。日本のアフター5はコミニュティとノミニュケーションの不離一体、表裏一体に価値観と幸福感があった。それを壊したのが小泉政治家での竹中平蔵、市場原理主義を導入した売国奴であった。