戦争を知らない子供達
「戦争を知らない子供たち」という歌が流行ったのは1970年頃だった。そもそもこの曲は全共闘世代の本質を感じさせる歌で、当時はベトナム戦争の真っ直中、隣りの中国では毛沢東が7千万、それも全共闘世代と同じ紅衛兵が殺されている。しかし、戦争を知らないと言い切る。髪を伸ばすこと歌を歌うことが価値で、僕らの名前を覚えて欲しいというナルチシズム、そして誰でも一緒に歩いていけるというお花畑、夢見る夢子ちゃん。1972年夏の頃、神奈川県相模原、横浜線相模原に午後5時ともなると
♪戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った
大人になって歩きはじめる
平和の歌を口ずさみながら
※僕らの名前を覚えてほしい
2.若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ
※(くりかえし)
3.青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕陽のかがやく小道を
※(くりかえし)
この歌に何の恨みもないが空々しく実に無頓着で日和見である。当時はベトナム戦争の後にアフガン、湾岸、イラク戦争とあり、中東では毎日のように紛争が起き、朝鮮半島も休戦状態である。しかし日本左翼は髪の毛が長いと許されないなら今の私に残っているのは涙をこらえて歌うことだけさという傲慢さ、戦争を知らないのではなく知りたくないだけである。
今、長髪は殆どいない。何故か、実は戦争の危機が静かに忍び寄っていることを感知しだしている。ちょっと前は顔を焼いてガングロで黒人、金髪にして白人でまるで日本人を否定していたが、長引く不況で脱日本人は困難になってきた。
つまり他国の戦争を無縁とするから戦争を知らずに僕らは育った。平和の歌を口ずさんでいても、平和は来ないことをフォークは改宗して語るべきときが今だろう。