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本田 宗一郎

 1917年大正6年のある日、10歳の少年は2銭を握りしめながら自転車で23キロ離れた会場目指してペダルを漕いだ。いつもなら疲労が出てくるが猛スピードでペダルを踏んでいるのに疲れを感じないのが少年は不思議であった。

 静岡県浜松市の練兵場で「米国の鳥人」の異名を持つ飛行家、アート・スミスによる曲芸飛行大会が開かれた。初めて見る飛行機、それもアクロバット飛行に少年はその日、眠ることが出来なかった。少年はボール紙で飛行メガネを作り、竹製で作ったプロペラを自転車の前につけて自転車を漕いだ。少年は飛行機を操縦している気分になれた。

 少年はやがて小型飛行機の免許を取得して大空を舞うようになった。まだ二輪メーカーの時代にいつか四輪車、そしてその次は飛行機だと決めていた。ホンダの小型ビジネスジェット、7人乗りの「ホンダジェット」は、主翼の上部にエンジンを取り付ける奇抜な設計で世界の技術者を驚かせ、燃費のよさなどが評価されて今年上半期の出荷数24機は世界一である。30年に及ぶ歳月が花開いた。

 実はホンダジェットの開発は社長を引退した本田さんには内緒だった。本人が知ったら喜びのあまり誰かにしゃべってしまう可能性がある。もしかすると研究の現場に乗り込んでくるかもしれない。

 現、藤野社長は本田さんの霊前に報告に行った。そのとき夫人が「私は飛行機の免許を持っているんですよ」と藤野社長にいった。おやじさんは夫婦でジェットに乗って世界の空を走りまくることを考えていたのか、秘密にしていて悪かった。イヤ、おやじさんはどこかで気がついてていたのかと思った。

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