新銀行東京について
石原さんが都知事になった頃、私は小学生で簿記を勉強していました。石原都知事は「都庁は単式簿記だ」と言われたのでビックリした記憶があります。どこの会社でも複式簿記が義務づけられているのに都庁のような東京都の財政を司るところで複式簿記を採用していなかったとは今でも信じられません。石原都知事は一橋大学卒で一時は公認会計士を目指されたそうですので普通の人よりも商学に通じていて毎週金曜日の定例記者会見などをみていると「費用対効果」という言葉もよく使われています。
『貸し渋り』という言葉は小泉政権下で聞かれるようになりました。日米首脳会談で、銀行の不良債権処理加速化をブッシュ大統領に約束した小泉元総理は金融システム改革を声高に叫び始めました。それまで柳沢金融担当大臣は「銀行の不良債権は問題ない」と言っていました。しかし更迭され小泉元総理は民間から竹中平蔵氏を担当大臣にすえました。すると銀行の不良債権は問題ないから一挙に問題有りとなりました。当時、私はパソコン通信で会計フォーラムを見ていたのですが「何故、担当大臣がかわった途端に問題ないから問題有りとなったのか」と呆れかえったレスがをよく見ました。竹中大臣が就任し不良債権処理加速策の検討に着手するや否や企業倒産の増加、デフレの深刻化を見越して、株価は続落。米国の意を受けた「大銀行、企業でもつぶす」という竹中発言はこれを加速させ、東証株価が一時8200円割れを記録し2003年4月には7807円にもなりました。今でさえ株価は安いと言われていますが、当時はその半分の水準になっていたのです。当時BIS規制の数値を維持するために会している融資先から貸しはがしつまり早期返済を求め一方で新規融資申し込みを拒む所謂かししぶりに走った訳です。与党内からも批判は出たのですが米国のハーバード・大統領経済諮問委員会委員長が「断固とした決意で改革を推進している」と竹中平蔵氏をほめあげた経緯があります。優秀な技術力を持っていても日本の中小零細企業は貸し渋りにあい青息吐息の自転車操業を余儀なくされました。
新銀行東京はそうした日本の技術力があっても大企業でないために煽りを喰っている状況を打破したいという理念から創設されたと認識しています。私は都知事の記者会見を聞いているとそういう事を言っています。
しかし、その後徐々に回復するにつれ銀行はBIS規制(国際業務を行う銀行の自己資本比率に関する国際統一基準のことで、バーゼル合意ともいいます。BIS規制では、G10諸国を対象に、自己資本比率の算出方法(融資などの信用リスクのみを対象とする)や、最低基準(8%以上)などが定められました。自己資本比率8%を達成できない銀行は、国際業務から事実上の撤退を余儀なくされます)をクリアして資金に余裕が出てくると中小零細企業にも融資を開始しました。つまり雨が降っている時に傘を取り上げ、晴天の時に傘をさしだすと言うような状況から少しずつ正道に戻っていったわけです。しかし一昨年の1月、新興市場の大カリスマ・ライブドアの堀江貴文元社長が東京地検特別捜査本部が入り、その後逮捕されたことから新興市場に留まらず東証一部までがライブドア事件に乗じたヘッジファンドに利用され、売りに売られ株式市場は買い手不在の売り手市場となり再び下降線を辿ることになりました。その後遺症で新興市場は未だに低迷を続けています。よって新銀行東京にとって運が悪かったのは財閥系の銀行を始め大手銀行は最悪期を脱し資金に余裕が出来たことから今まで見向きもしなかった中小企業にまで融資の枠を広げた事と新興市場の低迷に伴い財務諸表上の簿価価値が目減りし資産-負債で出てくる利益が減少したことが主な要因だと思います。素人ですが政治の難しいところは現実を踏まえて実現可能な5年先には形勢が真逆になっている事も考えられる点だと思います。
私は経済番組をみるのですが知りたい事を報道してくれる番組は少ないように思います。例えば未だに何故、単式簿記で都の財政を管理していたのか知りたいのですが、そこを質問するジャーナリストやエコノミストが居ません。都民の税金である400億円を追加融資ということになれば、それだけで「とんでもない」と言うことになりますが、その前にしっかりとした経緯は掴んでおく必要性があると思います。マスコミは是非を論議しますが因縁果の員に戻って理念は何であったのか、どうして上手くいかなかったのか分析して発表すべきではないでしょうか。そうでないと同じ失敗を繰り替えす 賢者は歴史に学び愚者は体験にも学ばずという言葉が在ります。歴史はいつか来た道を辿る傾向にありますので新銀行東京追加融資後は80%減少し20%となり中小企業縮小になります。当初の理念に戻るという事は絶望的という印象を受けます。もしかすると未来のマイクロソフト社、未来のグーグル社が居たかも知れないと思うと残念でなりません。
ゆうき 蘭でした。