大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?39
日韓合併以前の一般朝鮮人の生活は、実に気の毒なひどいものでした。当時、朝鮮の山はぜんぶ真っ赤なハゲ山で大雨が降れば洪水になり田畑が荒らされ、どうにもならない状態でした。そして現地の人たちは蟻(あり)の塔のような土を粘って造った家に住んでいました。それはオンドル(台所で煮炊きしたときに発生する蒸気や煙を居住空間の床下に通し暖房として使用する設備)の床の上にシブ紙をはりつけた粗末な家でした。日本は日韓合併条約後、寺内正毅元首相や元警視総監を勤めた丸山鶴吉など多くの優れた人を送って朝鮮の改善に努めました。
日本の内地と同様に、朝鮮全土に義務教育制をひき生活の向上を計って農工業の振興に努力を払いました。その結果、朝鮮の人々の生活は向上し、しまいには朝鮮の米が余って日本へ送るまでに豊富になりました。また日本の技術者が渡って改良に改良を加えていき日本米より良い米が朝鮮で出来るようになっていきました。ところが大東亜戦争で日本が大敗し、朝鮮から手を引いた後は元に戻って、朝鮮では米が不足し、今度は日本の余剰米を逆に朝鮮へ送る状態になっていきました。そうして日本と朝鮮の生活水準に大きな差が開いてきたので当時、多くの朝鮮の人々が暗闇に乗じ集団となって日本に密航して来ました。
従って欧米人が植民地でとった政策と日本が朝鮮と仲良く合併した後、行った政策は全くの正反対であることが分かります。欧米諸国の場合は、いつまでも現地人を隷属させるために植民地で教育をしませんでした。しかし日本の場合は、朝鮮の人々が向上するようにと、日本人と同様に朝鮮の人々に教育を受けさせ産業育成にも尽力を尽くしました。
これは今の北朝鮮を見れば明かです。北朝鮮の金日成キム・イルソン 金正日キム・ジョンイル親子は戦後全ての政権期間をこの二人が握っていますが、日本の戦後の様な食糧難で高官達は丸まると超えている一方で、一般市民や子供達は貧困と飢餓に喘いでいるのが現状です。しかし日本が朝鮮を併合していた時期に日本の政策で今の北朝鮮のようになったという資料はありません。つまり今から60年前の世界的品不足・物不足の時代であった日本の政策の方が現・北朝鮮の政策と比べものにならないほど善政であったと言えることは確かです。
それでは何故、今日、多くの日本人は日本がかつて朝鮮を搾取したと思い自責の念に囚われているのでしょうか。それは日本が朝鮮を併合した時と日本が朝鮮から引いた時期の一番の違いを見れば明らかになります。日本が韓国併合して、まず最初に何をしたか。当時の朝鮮の人々を各地で牛耳って搾取していた日本でいうところの豪族を日韓併合により、その地方の豪族・権力者達を日本部隊が皆、満洲等へ追っ払いました。分かりやすく云えば朝鮮の当時の経済の悪循環の元・癌細胞であった豪族達を切り取ったのです。これにより元々優秀な朝鮮人は今度は軌道が修正され良くなっていったのです。しかし戦後、日本が追っ払った豪族達が戻ってきてしまいました。彼らにとっては恨み骨髄の日本人です。又しても搾取を始め「悪かったのは日本人だ。悪政をしいた」と牙を向いてネガティブキャンペーンを行ったのです。