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その時、歴史は動いた 間宮林蔵をみて④

間宮が記録したスメレンクルと称する人々の風俗とその画について「スメレンクルの人々、子を育てるにいたって子にかせをし、板を屋根よりかける。 しかれども飄々(ひょうひょう)として快いのか、泣くことなし。 乳を含ませる時はこれを抱きて含ましむ」
と『北夷分界余話』に書かれています。「スメレンクル」はサハリン在住のロシア系一民族の、アイヌの人々による呼称です。


自らはニブフと称しており、現在一般的にはこの名称を用いていますが、今回は原史料に準じ「スメレンクル」の名で紹介いたしました。

樺太の再探検を願い出た間宮の言葉について「樺太と大陸の境をしかと見きわめずに帰りしは心残り多く、これよりすぐさま引き戻り見きわめ申したし」これは江戸時代末期の旗本で日露和親条約に日本側全権として参加した川路聖謨(かわじ・としあきら)の著書『敬斎叢書』の中で紹介されている間宮の言葉によりました。

探検の続行を決意する間宮の言葉について「志をむなしくしていたずらに帰り去ることの口惜しければ、いかにもして奥地に至るべし」と言っています。

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