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虐めの構造④

どうも官の人の意識の中に「自分たちは武士であり、民間人は町人」だとする観念があるのではないでしょうか。しかし武士とは町人の年貢で生活している事を忘れて貰っては困ります。「武士である」という観念を持っていただいても構わないのですが、それなら国の一大事の時は命を賭けて戦うのが武士です。その為に武士は存在しているのですから。

しかし彼らが仕える幕府とは米国幕府であって日本幕府ではない様です。征夷大将軍は米国大統領で将軍様に言われたとおりの政策をとっているのが現状ではないでしょうか。

しかし町人は、そうとは知りません。武士は日本幕府の為に一生懸命働いているという観念があります。お上のする事は正しいとする観念が江戸時代からDNAに組み込まれているのです。しかし太平洋戦争をみれば分かるように、上は町人の為に働いている訳ではありません。自分の面子や沽券が最優先であって、その為には国民を陥れる事も何とも思っていない節があります。

何故なら、昭和16年に日本政府は総戦力研究所で「日本が米国と戦って勝てるのか否か」を研究し結論が出ました。それは絶対に勝てないという結果でした。しかし松岡外相が「独・伊とは心中も辞さず」といって三国軍事同盟を結んだ手前、最早引き返せなかった部分もあったのでしょう。ここで真の政治家ならデータ分析の結果が出たわけですから戦争反対をすべきです。しかし当時の政治家は所謂、一高、東大、学士様でエリートでプライドの固まりですから、自分たちが間違っていた事を認める事はありませんでした。

そして、この無謬主義が今日も続いていて、自分たちの沽券や面子を守る為ならば国民を犠牲にすることを厭わないという実例を挙げたいと思います。

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