虐めの構造⑤
昭和46年、沖縄返還協定の際にされた「日米密約」についてスクープした元毎日新聞の記者がいました。沖縄返還に関する日米の密約合意を示す文書を入手。翌47年に国家公務員法違反罪で起訴され、53年に最高裁で執行猶予付きの有罪が確定。
西山さんは「平成12~14年に米側の公文書が公開されたことで密約の存在が明らかになった。密約は違憲なので国家公務員法違反に当たらない」と主張しましたが、これにより西山記者は社会的に抹殺されたも同然となりました。
西山さんは、起訴から20年以上経過した平成17年に提訴。1、2審は、密約について判断せず、民法の時効の規定(20年)を適用して請求を退け(除訴)、法廷も密約には一切、触れず、最高裁は9月2日、西山さん側の上告を棄却する決定をし、敗訴が確定しました。
米国の公文書によって密約が明らかになっているにも拘わらず、黙殺した訳です。三権分立によって独立している筈の司法でさえ、自分達の体裁の為に一般国民の正義を抹殺したのですから、この国の司法は真実を貫いているとは言えません。こうした体制が、戦前から現在に至るまで70年以上も続いているのです。
国が、その権力をフルに使って個人の名も無き人を虐める。或いは社会的に抹殺したり、罪をなすり付ける。最近では少なくなりましたが、以前は政治家の汚職事件が発覚すると秘書の自殺によって事件の幕が閉じることがありました。この最たる物が戦後の最大事件として取り上げられる帝銀事件です。