「HERO」を読んで⑤
時が流れ、その頃の秦は強国になりました。その秦を恐れた趙は速やかに親子を秦に帰しました。
政は11歳で天子に即位しました。そして呂不偉は申告の丞相(君主を補佐した最高位の官吏を指す。最高位の国家公務員の意味では、現代日本の総理大臣に相当する官職)となりました。そして政は13歳で正式に王座につきます。それと共に呂不偉は相国(大臣)になりました。
呂不偉は広大な領土を手にしていた上に政は幼かったため、秦は最早、彼の物でした。しかし潔癖だった政は呂不偉と趙姫の関係をしり、衝撃を受けます。一切を知った彼は絶望に陥りました。そして彼の心に憎悪がわきます。
やがて政は青年となり、漸く王としての実験が握れるようになりました。自分に刃向かう者は悉く処刑しました。自分の後釜に愛人をつけようとしていた母の趙姫も幽閉します。しかし、呂不偉の命だけは助けました。彼は罷免され秦から追放されたのですが、殺しはしなかったのです。それが親子の情からだったのかは分かりませんが、全てを失った呂不偉は三年後に自殺しました。
そして秦国史上、最も頭脳明晰であり、もっとも冷酷な王が誕生したのです。