保管

保管場所

<アジャスターの感想にお答えしたいと思います②>

うさぎさんへ

 小学校一年生で、亡くなった女の子は、気の毒でしたね。お父さん、お母さんは。私も小学校3年の娘を持つ母として、他人事とは思えませんでした。

きっと、マンションに入る度に、娘さんの亡くなった場所を見るのですから、地獄でしょうね。辛いでしょうけど、引っ越して良かったのではと、思いました。ところで、もう一人の子は、病死だったんですか?何だか気になって。

もう一つの質問に、まだ答えるのを失念していました。

もう一人、小学六年生のときのクラスメートの死は、病死や事故ではなく自殺でした。

六年生の夏休み、○○君(としておきます)が、自宅マンションで首つり自殺をして新聞・テレビで報道される事態となりました。その頃、私達のクラスは30人31脚というテレビ番組に出場する為に、それにクラスメートに再チャレンジして、絶対にテレビに出ようを合い言葉に、アメフトをやっていた熱血先生を中心に夏休みも練習のプログラムを組んで練習に余念のないときでした。

先生の落胆は私たちの目から見ても正視できないくらいで、いつもなら私たちの意見を求める先生が、『(出場を)やめよう』と断言しました。○○君は夏休みの日に、午前中プールで遊び、午後、お兄さんとお姉さんが出かけて一人になるとマンションのクロ-ゼットで首つりのマネをして遊んでいたのではないかと思われるとのことでした。

帰宅したお母さんは、居るはずの○○君の姿がないので、友達のところへ電話をしたそうです。しかし消息が不明、ふと、前にもそんな遊びをしていて叱ったことを思い出したお母さんが、クロ-ゼットを開くと○○君が、まるでお母さんに謝るような形で(お母さんにはそうみえたそうです)頭を垂れクロ-ゼットにうずくまるようにぐったりとしていたそうです。○○君は病院に担ぎ込まれましたが手当のかいなく12歳で、この世を去りました。

葬儀には父兄も多数参列し、中にはお父さん方も沢山見えられました。小学校に入った一月後、1年生の5月のゴールデンウイークの時に同級生の女子を交通事故で亡くしているので、2回目になります。父兄の方々も、そのことを覚えていらっしゃって告別式で皆さんが今回で「2度目ですね」異口同音に言っていたのが印象的でした。

転任されていた先生も駆けつけてくれて沈鬱な表情で参列し、出棺の後、担任の先生が私達を集めて、大粒の涙を流しながら、「お前達絶対に死ぬな!どんなことがあっても、いいか絶対に死ぬんじゃない」と何回も訴えました。

もう、彼とは本当に会えないんだとクラス全員で泣きました。不幸な出来事のあった数日後、アメフトをやっていた担任の先生は、夏休みなのに私たちのクラスだけ集め、○○君の思い出を語ってくれました。

私のクラスに私と保育園から一緒の男の子がいます。その子は身体が弱く、みんなのように体育をしたりプールに入ることは出来ません。いつも体育の時間は、みんなのすることを一人で見ています。それで、みんなと同じような行動で日光の修学旅行には参加出来ませんでした。その子はお父さんとお婆さんが交互に付き添って別行動で修学旅行に参加しました。

夜になった時に、○○君が先生の居る部屋を叩いて担任の先生に話しがあるというので先生が出ていくと、○○君は「身体の弱い友達と一緒に寝たい」といって先生を説得しにやって来たそうです。先生が『気持は分かるが、彼は身体が弱いから、暴れてホコリのたった部屋で寝ると、ぜんそくが出て具合が悪くなってしまう』と云うと、『アイツは身体が弱いのに、いつも頑張っているから、みんなも一緒に寝たい。絶対に静かにしますから』と、他の子も、先生に一緒になって頼んできたので、先生は承諾したそうです。

しかし先生は承諾したものの、静かにしているか、どうか気になって、様子を見に行くと、だれ一人、騒がずに、クラス全員が枕を並べて静かにしているのを感じて嬉しかったと言いました。

先生は2ヶ月前の修学旅行の思い出を語りましたが、女子は全員知らないことでしたので、そんなことがあったのかと思いました。その友達の男の子は、ただ、うなだれて聞いていましたが、辛そうで元気がなくて心配になったことを覚えています。

先生が最期に○○君と言葉を交わしたのは、随分と泳ぎが上手くなった○○君をプールの中に発見して『オーイ、お前、知らない間に随分、泳ぎ上手くなったな-』と声をかけると、○○君はプールの中で嬉しそうな顔をしてから、おどけて見せたそうです。それが最期だったと云われました。○○君のおどける姿がクラスメートの心に甦ってきました。

帰り道、私の親友の子が、亡くなる日の午前中に近くのプールで、○○君を目撃していたので『信じられない』と言いました。

先生は2学期になった時に○○君の席をなくすのは忍びないといって先生の机の横に机と椅子を持っていきました。私は机の上に何もないのは寂しいと思って花を持って行くことにしました。私が花瓶と花を持って行くと先生は真顔になって私に「どうもどうも、ありがとう」と頭を深々と下げました。

そんな事があった数日後、○○君のご両親が学校に挨拶に来られたそうです。お父さんは仕事の関係で単身中国で仕事をされていて、8ヶ月ぶりの帰国が無言の○○君との再会でした。身体を鍛える為にと小さいときから習わせた剣道のビデオを帰国してから見たそうです。8ヶ月で、こんなにも大きくなっていたのかとビデオを見て驚かれ、もうビデオの中でしか再会出来ないことを知りましたと涙を流して言われたそうです。

先生が教室に、ご両親を招いて先生の横の彼が使っていた椅子と席を見てもらうと、机の上に花が飾られているのを見て、ご両親ともホットされたご様子で、「○○を思い出すようにご両親は机と椅子に触りながら、みなさんにお礼を云っておいて頂けますか」と云わたそうです。そんな事があったことを昼休みの時間に先生が教えられ、机の上に何もなかったらご両親は、寂しかっただろう。私は花を飾っておいて良かったと思いました。

○○君にとっては、たった一度きりの最期の思い出の修学旅行が6月12・13・14日。亡くなったのが8月ですから、2ヶ月も満たない内に○○君は亡くなったことになります。○○君は日光の修学旅行の思い出を『日光に みんなと行きたい 又、いつか』と詠みました。

同じような句が、ひとつもないので切なく寂しい気持になりまそた。私は○○君が一人じゃない事を知らせてあげたい気持になって、いつまでも、みんなと一緒に居られるように、当時、私のホームページに華厳の滝の前でみんなで写した写真と、みんなが読んだ一句を載せた事があります。

きっと、私の同じだったクラスメートは、ときどき、○○君を偲んでいると思います。

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