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ディスカバージャパン①

 人を見て法をとけという言葉があります。
飴と鞭と言いますが、飴で実力を出す人もいれば、鞭で実力を出す人もいます。又、両方ないと駄目な人もいます。

  東洋の国、日本では、役人の事を「お上」といいます。恐らく「お神」からきているのだと思います。或いは女将という言葉があがります。つまり、目上を尊ぶ(たっとぶ)習慣があります。

 日本には常にそれがありました。幕府もそうですし、皇室もそうです。これは伝統というものです。そこには信頼があって、「上の人のする事には間違いはない。下々は従えば良い」とする考え方で、これは日本の美風です。

 私のブログではよく「肩書きに騙されるな。言葉に騙されるな。口は重宝、何とでも言える。行動こそが、その人の心理」といっているので、以前から、お読み頂いている人は矛盾だと思うかも知れませんが、。私は、本来、上に従うのは美風だと思っています。何故なら、そこには、上と下との不離一体の信頼関係と悠久の歴史があるからこそ成り立つもので、アメリカのような歴史の浅い国では出来ないものだからです。

 しかし、その美風を壊しているのが、役人です。東京都の水道局が、ワッペンだかでアンダーラインが入っていただけで作り直し、3400万の無駄遣い。幕府時代なら、問答無用で市中引き回しの上、打ち首獄門京の三条河原でさらし首が妥当だと思います。

 きっと、こんなものは氷山の一角で、表沙汰になっていない問題が、まだまだあるのだと思います。つまり、信用さえ維持できない役人を信用は出来ないという事から「肩書きに騙されるな」をブログのモットーにしています。

 日本では、国が親、国民が子供という観念があります。
新古今和歌集仁徳天皇が読んだとされる
『高き屋に のぼりて見れば 煙たつ 民のかまどは にぎはひにけり』というのがあります。苦しい時代、庶民の生活は、どうかなと思った天皇が、夕食時に丘の上に立って庶民の家を眺めていると、かまどから煙がたっている。あそこの家からも煙が立ってきた。みんな、ご飯を食べられているようだと、思わず天皇が微笑むようなシーンを思い浮かべます。

 それにしても、皇紀三千年、中国では時の権力者が、年号さえ好き勝手にかえ自分が帝になるのに比べ、日本では、天皇倒して取って代わろうとする人が3千年も居なかったのは奇蹟です。

 天皇は軍隊を持っていませんから、武力では勝ち目は無かったはずです。『武によって立った者は武によって滅ぶ』が鉄則ですから、天皇家は、きっと、稲作を授けた最初の人ではなかったのかと私は考えています。つまり天皇家に従っていると様々な英知が貰える。だから従った。つまり伝承する方に理法の理があり、伝承される方に利益の利があった。

 民は、収穫した一部を天皇に貢いだ。天皇は栄耀栄華せずに、質素倹約を旨とし、余った米は蓄蔵していた。ある年、饑饉があった。すると、天皇家は惜しみなく蓄蔵してあった米を民に与えた。こんなに出したら、天皇家が持たないというと苦しいときはお互い様だと、励ますばかりだった。

 それで民は、その恩に報いるために、せっせと農業に勤しんだ。そうして、収穫時に成ると天皇家を中心にして、護国豊穣の宴をするようになり、民は一年に二日か三日の
その日を楽しみに励んだ。そうした事から、高貴な人を守る武士という制度も生まれたのではないのかなと考えています。

 中国の思想家、荀子(じゅんし)に「君は舟なり、庶民は水なり、水は即ち舟を載せ、水は即ち舟を覆す」といっていますが、西洋の主義には、こうした国家と国民が不離一体の関係はありません。これが「西洋に主義あり、東洋に道あり」と言われる所以です。

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