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<『小さな親友』という小説を投稿しました。⑦>

「歴史はな、文永の役弘安の役西南の役という様に『役』という言葉がついたら、後生の日本人が良い事をしてくれたと思ったという事だ。逆に応仁の乱島原の乱という様に後生が悪い事をした。或いは悪いと決め付けたから乱と付けたんだ。それから日本は、ずっと日本だが、中国は戦いで勝った人が国の名前まで変えてしまう。明や宋や漢という風にな。でも全部、今の中国なんだ」
私はビスマルクが言った『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』と教え、戦国時代の武将は皆、ベンチャー企業を目指した人と思えと言った。信長は信長商事を、秀吉は秀吉商会を、家康は家康物産を作った人だと思って、常に、現代に置き換えて見るんだと教えた。

 裕太の成績は、学校にいっていないのに上がっていきました。学校側は、当然、面白くありません。それで、教師は石川を問題にします。しかし石川は、間近に迫った裕太の日光移動教室(修学旅行)に裕太を参加させる為に教師との諍いを極力抑えます。

「歳をとってから思い出すのは、授業風景じゃない。たった三日間の修学旅行の方が鮮明なんだ。一生の思い出になる」と裕太を学校に送り出すのですが、裕太は、跳び箱から落ちて腕を骨折。修学旅行にはいけなくなります。しかし、事実は虐めにあい、骨折したことが分かります。裕太は石川を気づかって、嘘をついていました。それで石川は、裕太がみたい映画を見せにいったり、家に泊めてやります。

たった一人の生活の石川にとって、裕太は家族同様になっていきます。しかし、裕太の母親が規約違反をしたことから、いられなくなり、石川との距離は車でも、小一時間の距離となって、裕太は石川の家にこられなくなります。母親と同居した。見知らぬ男から虐待されますが、石川は、兎も角、耐えること、新しい父親に可愛がられる事を教えます。

それでも、石川に会いたい裕太は土曜日になると車で一時間かかる距離を自転車でやってきました。石川は、歓迎して二人で食事をし、帰りに多少の小遣いを与えます。二人とも、ケータイのメールで近況を連絡しあっていたのですが、突然、石川が一人自宅で死にます。

一人娘の由美は、嫁ぎ先の九州から帰って来るのですが、当然、裕太の存在を知りません。父親の葬儀のときに、普段着で千円の香典をおいていった少年が気掛かりでなりません。いったい父親とどういう関係の子なのか。親子とは、知っているようで、知らないことがある。そうして、晩年、父親に小さな親友がいて、その親友が生き甲斐であった父をしって、娘の由美は、裕太に礼をいうのですが、裕太は、小父ちゃんに世話になるばかりで礼をいわれた事に躊躇します。

由美は、香典返しに、石川が『小さな親友』の成長を綴っていたノートパソコンを裕太に渡そうとするのですが、裕太は拒みます。自分は世話になるだけだった。小父ちゃんには何も返していないから、ご免なさいと泣きじゃくるのですが、香典返しは金額ではない。心だと説得していきます。

そして由美は「父は(石川)は、死んでも裕太君を見守っているから」といって、ノートパソコンを渡すのでした。裕太のような境遇の子どもは、どこの小学校にも居るのではないかと想って書いてみたのが『小さな親友』でした。

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