小泉さんと東国原さん①
世の摂理は、不思議というべきか、或いは妙なる調べというべきなのか。4年前『飛ぶ鳥、墜とす勢い』だった。小泉さんの勇退のときに、その小泉さんの神通力は地に堕ちました。それが地元での市長選です。小泉さんの思うが侭の砦のようなところでの大敗戦でした。
他国と日本の違い。それは『罪を憎んで人を憎まず』で辞めていく人、去っていく人の場合、その評価は上がります。ところがロシアのような国は、現職の時がピークで、辞めると、その評価は落ち、流れる経過の中で更に貶められていきます。どうも小泉さんはロシア型です。
人には持って産まれた宿命というものがあります。スピリチュアルな感覚の持ち主なら、それが何であるのか分かりますが、私には、その才能がありません。でも、私は『因・縁・果』の法則を言っています。
因・縁・果の法則を切り口にして言うと、生まれたときから、同じように勉強しているのに、地理は好きでも歴史は興味がないと言う人がいれば、絶対に行かないであろう地球の裏側の国の名前を無理矢理覚えても忘れてしまう。万が一行くときになって覚えるのがベスト。小学生で覚えるのと全く変わりがない。むしろ、好むと好まざるに関わらず、行くことになったという目的の為に知る方が効果的と考えるのが私です。
しかし歴史は繰り返す。因果応報、所詮、人の世は連関する連鎖の中の一コマ。泥棒が入れば警察が居る。江戸時代なら下手人と奉行所。しかし奉行所には判事はいても弁護士と検事は居ない。そこでの冤罪は、当然、あったでしょうが、果たして、今の裁判制度が理に適っているのか。寧ろ、当時の方が人情を裁けたのではないのかと想像は膨らみます。
自分の事を理解している。だから他人の事も分かる。それを膨らますと自分の経済が良く分かる、それで日本経済が、故に世界経済が分かる。更に膨らませると個人の世界が分かる。他人の世界が分かるから世界が分かる。それで霊界の事も分かるというのであれば、信憑性があります。こういう人であれば私は実証を見て信じますので、信じることが出来ます。
日米安保60年の頃、世に霊感少女、藤田小女姫さんは当時15歳。マスコミから脚光を浴びました。岸元首相が、「日米安保は通るかね」ときくと、「断固としておやりなさい。その代わり貴方の内閣は短命です」といったら、その通りになったので、人気に拍車が掛かりました。しかし、その後、事業をしていたビルで火事をだし、ハワイで殺害されてしまいました。
この場合、『因・縁・果』の法則は成立しません。反対にして考えると、殺される。火事を出す。不幸な出来事は不幸を越えて戦慄するという部類です。その人のアドバイスが適切であったと信じる人もいますが、私なら、信じた私が馬鹿であったと結論を出します。
小泉さんには3人の息子がいて奥さんと別れたときに、上の二人を小泉さんが末っ子を奥さんが引き取りました。今は、どうだか知りませんが、小泉フィーバーのとき、末っ子が「父にあいたい」といっているのに、小泉さんはあってくれないといっていました。
小泉さんは家庭人として失敗、とはいいませんが、成功はしていないと想います。個人では成功していない。しかし一国の総理としては成功したというのは一時的にあっても、政治はその後ですから、結論はこれからで、その経緯の中での今回の敗北は私のブログ憲法では納得のいくところです。
今をときめく東国原さんですが、夫唱婦随でなかったのは知られています。妻で女優の、かとうかずこさんは、夫が政治の道を目指すといったら、未成年を相手のみだらな行為まで許したのに離婚してしまいました。
それでも政治を志した東国原さんは偉いと想う人が沢山います。私は偉いか偉くないかは好みの問題ですから、論じても意味がありません。事は好き嫌い。応援するか否かではなく、正しいか邪であるのかで政治家は論じるべきとかんがえます。政治こそ結果なのですから。
元妻のかとうかずこさんが、「失敗すると想う」と言っていました。元妻は何故、そう思っているのかは分かりませんが、それは夫婦をしていたのですから、東国原さんをこの世で良く知るベスト3にはいる人の意見は貴重です。
師匠のビートたけしさんも、嘗ての弟子をパフォーマンスの男で突然、ビートたけし殺人事件を書いて、映画化して、その主演女優と結婚。鮮やかと言えば鮮やかですが、スタンドプレーの特長は追い風に吹かれるばかりではなく、多いに逆風にもあうということです。
その煽りは、国政ともなると国民にしわ寄せが来るのですから、過去を紐解くと、人気と政治力は反比例しています。田中角栄さんの列島改造。小泉さんの刺客選挙(郵政民営化)一体これで、日本はどれだけ三歩下がって、半歩進まずとなったかです。