才能とは何か
発明王のトーマス・アルバ・エジソンが「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」といったというのは有名な話です。
最近読んだ羽生さんの著書で印象的だった(詳細は 2011年5月18日 (水) 決断力)件で”以前は才能というのは一瞬の閃きだと思っていた。しかし最近では、10、20、30年と同じ姿勢で情熱を傾けられる事が才能ではないかと思うようになってきた”と記されています。
「才能というのは一瞬の閃き」この言葉を私流に解釈すると、最善手を一瞬の内にして指す。いうなれば神の一手を指せるような人が天才だと思っていた。ところが、そうではなく将棋に対して初心を忘れず情熱を持ち続ける事こそが才能なのだと思うようになった、という事になります。
それでは何故そう思うようになったのか。
それは、皆が同じ事をしてれば努力が報われる確率は低くなる。プロの棋士の世界は若いからと言って将来の保証は全くない。層の厚さという点では羽生さんは自身の頃と比べても、かなり違ってきていているといいます。
人間、報われないかもしれないにも関わらず同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変な事です。けれど”そういう中でも腐らずに努力していけば少しずつでも良い方向に向かっていくと思っている。周りのトップ棋士をみても目に見えて進歩しないが、少しでも前に進む意欲を持ち続けている人は例え人より時間がかかっても、いい結果を残している”と記しています。
それこそエジソンも何百回、何千回、何万回と本当に発明できるかどうか分からない中で、それでも研究を続けたから発明王になりました。もし途中で先が見えない研究を諦めたら発明王は存在しなかった。研究というのも、”報われる保証がないにも関わらず情熱を保ち続ける事が出来るのか”という事にかかっているのかも知れません。
――こんな風に考えながら才能のない自分を克己しています。