今と昔
今、スイカ、昔はオレンジカードといったそうですが、オレンジが西瓜(スイカ)になっちゃう時代です。以前はバンド、今ベルト、昔ズボンが今パンツ。昔、床屋、今バーバー或いは美容院。 昔、シュミーズで今キャミソール、とっくり(セーター)はどこといったら食器売り場に案内された。今、ハイネックセーターとテレビで岡本夏生さんが言っていました。
DVDの時代なのに相変わらずVTRスタート。選挙公約でいいものをマニュフェストといっていたら、みんなの党は、アジェンダと言い出しました。自民党は総裁で、民主党は代表で、社民党は党首。
若者言葉の特集で、ダルビッシュ。これ日本ハムのダルビッシュではなくダルいという意味で、「今日マジ、ダルビッシュでさー」と言ったら「今日、マジ、ダルくてさー」という事になります。ガチオコとは本気で怒っているという意味で、部活はGHQと言ったら、 GO HOME QUICKlY つまり帰宅部の事だそうです。
瀬戸内寂聴さんがケータイ小説を書いて、その中で”雨具を持ってくるを忘れた”という件がありましたが、今はあまり雨具とはいいませんよね。傘を忘れた、じゃないでしょうか。
黒柳徹子さんが徹子の部屋で「私も若い頃は辛酸を嘗めました」といったらゲストが「大変な物を飲まれたんですね」というので使わなくなったとか。でも、苦労しましたとか、酷い目にありましたと、「私も人様同様に辛酸を嘗めた事はあるんですよ」と言った、なんていう言葉はいいなぁと思うわけです。
妙齢の夫人だったなんて文学的です。『一犬影に吠ゆれば万犬その声に吠ゆる』は何となく分かりますが『一犬虚に吠ゆれば、万犬実を伝う』となると格調は高くなるが解釈が必要になる。でも、それをすると格調が落ちる。
ご常連のコメンテーターの人が「語るに落ちた」といったので調べたら、どうやら「問うに落ちず語るに落ちた」といいたかったようです。つまり問われたときは神経を使ってボロはださないが、自分の意見をいっていたら本音がでたという意味ですが、勝手に短くしないでくれよと思います。
そういえば石原さんが四男の絵描きさんに東京都のモニュメントに採用したときに、公私混同と問題にされて「余人を持って代え難ければ、身内の手も借りますよ」と切り返しましたが、流石に文学の人と思った事がありました。
”げんしつをとる”と言う人がいますが、言質(げんち)をとるが正解です。手の平を返すが市民権をもっていますが、正確には手の裏を返すです。小説を書いていると、こういうのが困ります。
手の平を返すを、手の裏を返すだってさ、ばっかじゃないといわれるのではないかと。
まぁ、小僧作家の案外、大きな悩みという事で……