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「流れる星は生きている」感想

ベストセラー『日本の品格』を書いた藤原正彦さんの父親は武田信玄を書いた新田次郎さん、母親の藤原ていさんは『流れる星は生きている 』というノンフィクション小説を書いた人です。

Nagareru

満洲の気象台につとめていた夫(新田次郎さん)とはなれ、子どもをつれて当時の「満州国」の「首都」であった新京から陸路、朝鮮北部を通り、朝鮮半島を南下して日本に引き揚げる主人公親子のストーリーである。当時のソ連占領地域の実態をあらわした記録として、当時から評判になった。(Wikipediaより)

 1949年に映画化、1982年にドラマ化されているので映像を見た人もいるかも知れません。

 読んでみて、この母にしてこの息子あり、藤原さんの精神力の強さは父親譲りだと思っていたのですが、母親のていさんの血もあるのだなと思いました。

 この小説が出版されたのが1949年の作品ですから、戦後5年、藤原ていさん31歳です。最初は満州にいた藤原一家ですが、ていさんは六歳と三歳の男の子と三ヶ月の娘とそして最低限の生活必需品をもって今の北朝鮮に逃げます。夫の新田次郎さんは後からやってきます。家族の死に物狂いの逃避行。そこから南朝鮮(韓国)を目指します。そして日本に戻れるのか、壮絶な当時の女性の境涯と生き様。

 夫の新田次郎さんは義侠心の塊のような人で、妻は六歳の長男、三歳の二男、そして三ヶ月の娘をを抱えて、男としていきたい新田次郎さんと男より父として生きて欲しいていさんの間で起きる夫婦喧嘩。鬼気迫る生き方、絶望と孤独。朝鮮に置かれた一家族の実録物語。身体が覚えていて身体が書かせたというほど当時の感情が具体的です。それだけ強烈な体験だったという事だと思います。

 最後に映像化されたのが約30年前ですから、どんどん作品を知る人は減ってしまいます。弟に朗読させたのですが、こんな事があったのかと驚いていました。こういう小説こそ教科書に載せて全国民が知っているべきではないかと思いました。

 

 

Rogokanseibann_6

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