保管

保管場所

「市民の党」と人権救済法案とは何者ぞ26

*2011年8月19日 (金)「市民の党」と人権救済法案とは何者ぞ25の続きです。

  自画自賛で”自分としてはやるべき事はやった”というのが菅さんの最後の言葉で、漸く菅さんは首相官邸を去りました。

 しかし、やって欲しかった公務員給与削減法案の審議見送り。やらなくてもいいことはやりました。朝鮮学校無償化問題でして、既に都立、府立、県立、北海道の道立、全部引っくるめて公立高校は去年4月から無償。但し私立は除外ですが、それはまぁいいでしょう。しかし朝鮮学校は対象ではなかったものを、その手続き再開せよを指示しました。

 政治評論家の屋山太郎さんが「イタチの最後っ屁のような」と表現しましたが、”やるべき事はやった”というのは、これだったんだと思いますね。さて皆さんはどう思いますか。

 徳川家康を狸親父という悪評から解放して徳川家康ブームを作った山岡荘八さんが、石田三成は家康を敵視したのは一五の時から秀吉に仕え、毎日秀吉から『家康め、喰えん男よのう。あぁ、あやつめさえおらなんだらなぁ』と毎日愚痴を聞かされ続けた結果、家康を信じない男になったんだと思うんだよなあ」と言ったものであったと書いています。朝鮮学校の子供を石田三成教師を秀吉にするとですね。

  仮に無償化して彼らが成人すると菅さんはいい人にするでしょうけど、日本は悪い。悪いことを認めていない。しかし菅さんはいい人だった。その悪い日本の政府を戒めたというでしょうね。菅さんの夢は彼らに選挙権を与え、民主党にいれる。何しろ菅さんの理想の人は毛沢東ですから、菅さんは偉かったとする布石ではないでしょうか。何しろ、こんな不人気な総理は前代未聞、空前絶後、前人未踏でしたから。こう私なんかは思いますね。

朝鮮学校の話を下記でしています。
http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV?gl=JP&hl=ja#p/u/4/wGDcYRZX0pQ

  大高美貴さんがいった二・二八事件とは
 
 二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人との大規模な抗争。約 40 年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪により漸く終結した。本省人はこの事件を台湾大虐殺と呼んでいる。

1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。(Wikipedia 

OJTとは(On the Job Training の略)⇒企業内で行われる企業内教育・教育訓練手法のひとつで職場の上司や先輩が部下や後輩に対し具体的な仕事を通じて仕事に必要な知識・ 技術・技能・態度などを意図的・計画的・継続的に指導する事です。

この記事を読んで良かったと思った方は投票してくださると嬉しいです。

Rogokanseibann_6