共産主義の実態⑦
いすけ屋さんのブログで小泉・竹中平蔵ラインの実態を書いています。
⇒http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/2454632/
竹中平蔵先生の前の堺屋太一さんは、小渕時代に金融監督庁長官を担当、次の森政権まで徳川吉宗の従兄弟の徳川宗春の自由経済政策或いは開放政策政治を推進していました。てっとり早く言えば行け行けドンドンドンドン政策です。小泉さんは引き続き堺屋さんに経済担当大臣を依頼しましたが、堺屋さんはもう桜咲く頃、日本経済は大丈夫と受けませんでした。
そうして現れたのが竹中平蔵でした。ちなみに竹中ときくと、秀吉の名参謀の竹中半兵衛を思い出します。この人が早死にしなければ豊臣政権はかわっていて現在の日本は変わっていたかもしれない。当時、今孔明といわれた程の人物で、織田信長も欲しがったという逸話がありますから、マサカ、全く無縁ですが、多くの人が知者とみたようです。この人の怖いのは小渕政権ではアサヒビールの会長の樋口廣太郎さんの下で小渕政権時代に行け行けドンドンドンドン政策をとっていました。
だから堺屋さんは、その路線をけいぞくするとみていたら、痛みに耐えろ、『米百俵内閣』という小泉さんを、殿、ご乱心をと止めずに、学者でありながら手の裏をひっくり返して徳川宗春の従兄弟で将軍の吉宗政治を断行しました。吉宗で分からなければ、白馬で海岸沿いを走る松平健さんの暴れん坊将軍ですね。堺屋さんは吉宗を評価していませんでした。つまり竹中平蔵さんは全く反対の手段に出たのです。堺屋さんは騙されました。でも騙されたとはいえません。何しろ堺屋さんは歴史上、まるで見てきたかのように歴史を書いてきました。目の当たりにしていた竹中さんが裏切ったといえば、それじゃあアナタの書いた石田三成像、或いは秀吉の弟の豊臣秀長像は確かだったのとなりますからね。
あぁ、それにしても小泉・竹中ラインの五年五ヶ月ってなんだったのでしょうか。人間の証明どころか政治の不存在証明という感がしますね。
『麦藁帽子』 / 西条八十
母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき向こふから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどたうたうだめだった。
なにしろ深い谷で、それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき旁で咲いていた車百合の花は、もう枯れちゃったでせうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。
母さん、そしてきっといまごろは
今晩あたりは、あの谷間に、静かに霧が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光ったあの伊太利(イタリア)麦の帽子とその裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく。
【郵政民営化の不存在証明】
小泉さん、国民のあの帽子どうしたでしょうね? ええ、安倍さんから福田さん、そして麻生さんとかぶり続けていたのに、あの渓谷へ落としたあの郵政民営化の帽子ですよ。
竹中平蔵さんも、あれは好きな帽子でしたよ。
国民は、あのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり民主党の風が吹いてきたもんだから。小泉さん、あのとき向こうから、ドンの小沢さん、友愛鳩ぽっぽさん、あっけら菅さんと三人で来ましたっけね。トロイカ体制と書いた旗をもってましったっけ。
そして郵政という帽子を三人で踏みにじってくれましたっけね。だけど黄金のマニュフェストはだめだった。
改革を止めるなっていったけど、なにしろ深い谷で、郵政民営化すれば、小さな政府、少子化対策、地方財政が潤うといったけど、草が背丈ぐらい伸びていたんですもの 小泉さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき旁で咲いていた『米百俵』の花は、もう枯れちゃったでしょうね、そして安全保障、年金・医療、外交までよくなるといった5年5ヶ月の帽子は灰色の霧が あの丘をこめ あの郵政の帽子は毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。小泉さん、そして国民は又自民党にすれば郵政民営化かと 今晩あたりは、あの谷間に、静かに霧が降りつもるように考えています。昔、つやつや光ったあのアメリカ帽子とその裏に国民が信じた小泉・竹中ラインというキャッチフレーズを埋めるように、静かに寂しく。