ドラマ版 下町ロケットの感想 研究開発は必要か
私は最近のテレビが面白くないのでドラマも殆ど見ないのだが「下町ロケット」は原作からのファンで阿部寛主演ということもあり楽しみにしていた。初回の視聴率は16.1%とここ最近のドラマとしては高評価といえる数字だ。
ドラマの感想としてはまずまずの出来、まあ良いかなといったところだ。あまり大きな期待をしているとハードルが高くなりすぎて反動が強いからドラマと原作は違うと割り切る必要がある。最初は阿部ちゃんが下町の社長という泥臭い役が似合うのか。ちょっとエリート感に寄りすぎてしまうのではないかと思っていたがそんな心配は無用だった。流石の演技力で見ていて惹き付けられるものがあり、これは役者としてというより阿部寛という人物の持つ魅力だろう。
白水銀行から佃製作所に出向している殿村は原作と違い性格に嫌味ったらしい要素が追加されていた。白水銀行の定期解約やナカシマ工業との和解案拒絶のシーンでより殿村を引き立てようという意図は分かるが少々過剰すぎるのではと感じた。ルーズヴェルトゲーム、半沢直樹然り、この作品を手がけてきた監督は所々で過剰な演出が見うけられ、いやいや大袈裟過ぎるだろ。という突っ込みを入れたくなってしまうのが個人的には玉に瑕だ。後は財前役吉川晃司の演技があまり上手くなかったのでもう少し上手い人を財前役には据えて欲しかったかな。吉川ファンには申し訳ないけど……。
さて、この物語の焦点には「研究開発」がある。研究開発してもそれが必ずしも利益に結びつくとは限らない。尚かつその利益は出たとしても先の話、短期的な利益に即結びつくことは稀だ。それでは研究開発を止めて良いのか。これは非常に難しい問題だが私は技術開発を止めて短期の利益を優先しても将来的には立ちゆかなくなると思う。
技術力というのは「働く人の経験や技術開発の蓄積」に他ならない。それを止めてしまえば新たな技術を他から取ってくるしかない。しかし他から取ってくるといってもそれはライセンスの取得であり真の技術力を持っているとは到底いえない。そして一度技術開発に立ち後れればその差を巻き返すには倍以上の投資が必要になる。その技術力を埋めることが出来なくなった企業はフォルクスワーゲンのように不正によって技術の不足を補い。それが露顕したときには企業そのものを吹き飛ばすことになる。
技術力がなくなれば企業に優位性がなくなり自社の生産能力は低下していく、そうなれば技術力の勝る他の企業に勝つことは難しい。技術力こそが日本経済を牽引してきた最大の武器なのだ。日本の終身雇用制度は経験やノウハウ、技術を社員に蓄積させそこから新たな発明や工夫が生まれ新製品を作ってきた素晴らしい土壌を形成していた。今は派遣社員や非正規が増え株主を重視せよというグローバル株主資本主義的な思想が日本を覆っている。株主は会社を成長させてくれるのか。会社が困ったとき助けてくれるのか。そんなことはありえない株主は自分が如何に儲かるかしか考えていない。その企業が困ろうと社員がどうなろうと知ったことではないし業績が落ちればあっと言う間に次の企業へと投資先を変えていく。
社員を人件費として見なし技術開発を無駄金と切り捨てる。これでは徐々に技術力が衰退し、やがて自分達だけでは何も作れなくなる。これが日本全体に広がれば日本は競争力を失い発展途上国になるだろう。重要なのは将来に対する「人材投資・技術投資」願わくば日本の全ての企業に佃製作所のような社員を大切にし、技術を磨く日本精神を持ち続けて欲しい。その為にも先ずはデフレ脱却だ。