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八田ダム 台湾と友好関係を築こう

台湾・民進党の総統候補、台日の「固い友情」強調 訪日振り返り

 中央社フォーカス台湾 10月21日(水)19時12分配信  

民進党提供  

台北 21日 中央社)来年1月に行われる総統選挙の野党・民進党公認候補の蔡英文主席は21日、フェイスブック上に今月上旬の訪日を振り返る文章を投稿し、台日間の固い友情と密接な協力関係により、両国と地域がより良い未来に向かうと信じていると述べた。

蔡氏は、今回の訪日は4日間と短かったが、台日の友情はとても長かったと感想を語り、日本で人々から受けた優しさは今でも忘れられないとした。

また、東日本大震災や昨年の高雄ガス爆発事故、今年6月の新北市娯楽施設火災といった災害発生時には、台日の互いに対する温かい思いやりや助け合いが見られたと指摘した。

今月6日~9日の訪日期間中、蔡氏は東京と安倍晋三首相の地元、山口を訪問。超党派の国会議員で構成される日華議員懇談会のメンバーらと会談したほか、民主党自民党の本部をそれぞれ訪れた。滞在3日目の8日には安倍首相と都内の同じホテルに“居合わせる”という出来事もあった。

蔡氏は世論調査で、与党・国民党の公認候補、朱立倫主席の支持率を大きく上回るなど、選挙戦を優位に運んでいる。

(編集:杉野浩司)

 台湾では親中路線を取っていた国民党があまりにも中国に寄りすぎていた為、国民の反発を買い親日路線の民進党に票が流れている。アジアの中で中韓北以外の国々は親日だがその中でも特に台湾の人々は親日東日本大震災のときも一番の寄付金を日本に送ってくれた。何故朝鮮人は日本を憎み台湾人は日本が好きなのか。それは朝鮮の政治的な問題で反日教育によって団結する構図が完全に出来上がってしまったことが大きいが、日本が台湾を統治していたときに台湾で多大な貢献をしてきた日本人が大勢いたからだ。(朝鮮にもインフラ整備、学校や病院などを建てた) 

 その例を挙げると日本人土木技師の八田 與一(はったよいち)今でも彼の銅像が台湾に残され命日には墓前祭が行われている。八田は東京帝国大学で土木工学を学び1910年、統治下の台湾へ渡った。そこで目にしたのは広大な嘉南平原で水不足に喘ぐ台湾の人々だった。乾燥し荒涼とした大地で60万人が食べ物を失い井戸水すら枯れる始末。 

 八田はこの惨状を何とかしようと自分の持てる技術で「この土地を緑豊かな土地に変えてみせる。東洋一のダムを作ってやる」と広さ東京23区の倍以上、水路の全長16000㎞(万里の長城の2.5倍)の巨大なダム建設を考えた。予算は当時の金で5400万円、実現すれば人々の暮らしは豊になる。しかし日本のダムでも類を見ない巨大さ。八田は先ずアメリカへ渡り米国製の重器を大量購入していった。 

 当時は台湾に対して差別意識を持つ日本人、日本人に対して差別意識を持つ台湾人も多かったが協力し一致団結しなければダムは作れない。八田は私財を投じ作業員の為 家族と暮らせるよう宿舎を作り、祭りも開いた。マラリアが蔓延したときは高かった特効薬キニーネを作業員に与えた。薬を嫌い飲まない者がいるときは家まで行って大切さを説いて回り着実に信頼を築いていき工事は順調に進んでいた。

  しかし着工から2年目、石油ガスによる爆発事故で50人以上の作業員が死亡、「自分の計画がやはり無謀なものだったのか」と一度は諦めかけるが地元の台湾人が「今ダムの建設を辞めてしまったらこの先私たちは喰っていけない。諦めないでくれ」と八田に直談判した。八田もその必死の訴えに心を奮い立たせダムの建設に一層、邁進する。無くなった作業員の為に八田は慰霊碑を建て全員の名前が台湾、日本人の区別無く刻まれた。 

 その後も関東大震災によるプロジェクト予算縮小などの様々な問題が発生したが着工から10年、遂に烏山頭ダム八田ダム)が完成した。台湾の人々は貧しい暮らしから抜け出すことができ、ダム湖の畔に彼の銅像を建てた。台湾の勃興を見届けた八田は1942年、太平洋戦争でフィリピンへ向かった途中、潜水艦の攻撃を受け享年56で死亡した。 

 八田與一の功績を忘れてはいない。彼の他にも大勢の日本人が台湾人と協力して成長してきた歴史がある反日国と仲良くし金を渡しても更にせびってくるだけで日本にメリットは何もない。最近でも日韓FTAの再開を要求してきているがそんな金を融資するぐらいなら台湾に目を向けろ。

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