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徒然なる侭に

  私は政治家、官僚引っくるめて為政者に求めるものは「ズバリ! 先見性」である。重要なのは『先見の明』があるか否かで口は重宝何とでもいえる。都知事に立候補など露程も考えていなかったといったが逆転の発想で
後出しジャンケン都知事選では特に有利、故に最後に出陣を表明した」といったら人気は下がる。
 1999年、石原慎太郎氏が都知事戦に立った。氏は1968参院選で全国から立ったとき史上空前の310万票をとった。因みにこの時、立候補したのが青島幸男横山ノックらテレビで顔を知られている「タレント候補」だった。ここからこの言葉が定着した。横山ノック大阪府知事になったが再選選挙の期間中にウグイス娘にセクハラを働くも惚けに惚けていたが、被害者のウグイス娘が怯まず法廷に持ち込み横山は観念して辞職した。その反動で2000年元経産省太田房江が府知事になったが何も出来ず。ただ大阪場所で優勝力士にトロフィを贈るが土俵には女は上がれないのは女性差別だ伝統だでスッタモンダしただけ、大阪経済は赤字財政でも4年で退職金8千万を貰った。無能府政が二代続いて大阪は火の車経営となり橋下さんが府知事になった。青島幸男もやはり無能で赤字経営から脱しきれず。石原さんが都知事になった。
 つまり1968年初のタレント議員は三人とも何故か知事になったことになる。だが石原さんは一回目の都知事選、1975年のときは落選した。誰もが楽勝で石原都政になると決めていたが、最後の最後に前都知事美濃部亮吉が「石原慎太郎君に任せたら東京はおかしくなるから私が続ける」といったので美濃部都政に逆戻りした。これが後出しジャンケンの元祖である。
「えぇ、石原さんだとおかしくなるの?」となった。ヒトラーは突然、ユダヤ人が悪い元凶はユダヤ人だと演説して回った。ところが具体的に何がいけないのか分からない。金貸しはいけないといってもそれはそういう職業があるのだから、問題にするべきことではない。みんな半信半疑でいたがユダヤ人がいけないが相場になっていった。果たして石原か美濃部かのつばぜり合い。結果は石原233万票、美濃部268万票と僅差で敗北、何もしない都知事の通算12年、その次の青島都政もダメと続き東京都は財政再建団体、民間でいえば倒産、経営破綻の危機に陥った。しかし石原都政の1999年からは黒字経営となり、更に黒字を積み上げたので日本で一番リッチな知事となり、これはいいやとばかり舛添大先生がこんなにリッチじゃあ、都税を安くしろとなる。それなら東大出で国際政治学者で厚労大臣でもあった頭のいい舛添が使って進ぜようとなった。
 国家の官僚、地方の役人は必ず隠匿物資、霞が関なら霞が関埋蔵金がある。それは銀行、保険、證券なら財務省の管轄で監査される。だから甘くして頂こうと「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」をしたわけだが官僚、地方役人を監査する制度はない。それは名目上会計監査院はあるがこれは警視庁内での殺人事件を警視庁に依頼するようなものでお座なりである。舛添大先生は金の亡者、せっせとため込んだ摩天楼の如く聳え立つ、都庁ビルの隠匿埋蔵金に目をつけた気配あり、公私混同で三年もやっていないのに都政と家計簿を同一視、ここで辞めさせないと酷いことになると都庁職員が、舛添退任の縄をかけだした。そして文藝春秋がしっかりその縄を握った。
 舛添大先生は過信していた。出身大学で人を仕訳する性癖があった。だが蔑視と侮蔑と上から目線は面従腹背が常だが許容量を超えると憎しみは倍になる。しかも舛添包囲網は同じ扱いを受けた体験者が『同病相憐れむ』で結束は固い。こういうことは本来、国際政治学者なら分からなくてはおかしい。ホリエモン木村剛村上ファンド村上世彰、舛添大先生の共通の臭いとキーワード、それは「俺は頭がいい。だから切り抜けられる」と決めていた。だが誰も切り抜けられなかった。何故か失敗の体験が少なすぎるからだろう。昔の人はいいことをいった「可愛い子には、旅をさせろ」
 誰もが舛添大先生を「頭のいい人」と形容する。だが私のブログ憲法では「頭の悪い人なる」そもそも世間がいう頭がいいとは学歴、つまり東大だと「頭がいい」という肩書きがつく。昨今だけでも竹中平蔵が気脈を通じ絶賛した村上ファンド村上世彰ホリエモン木村剛は全員刑事被告人から執行猶予付きの実刑判決。ホリエモンは執行猶予もつかなかった。木村剛などは大蔵役人から日銀シノモノ、散々銀行経営を批判していた。その通りだと竹中がいって日本復興銀行を任せた。銀行には監査が付きものこれは2013年ドラマ「半沢直樹」の通りであるがその財務省査察の際、ケータイであれを隠せ、それからあの資料は隠せとメールしていた。事実をケータイから消せと命じていた。そんなことをしていた頭取は後にも先にも木村剛だけであった。
 今までは百科事典のような頭をよしとした。それはサーチ(検索)に時間がかかったからである。だが今は手の平サイズのケータイ、スマホ一台でどんな百科事典頭にも負けない。例えばURL、メールナンバーを百も覚えていたら大した記憶威力だが、スマホはその百倍も瞬時に記憶する。つまり覚えることは最早、頭の良さではない。使いこなす発想するということが頭がいい。それは何に通じるか、それは今までなかった未来学である。即ち過去ログ頭の東大頭は無用となった。バブル崩壊から四半世紀(二五年)、何を実証したかそれは大学に経済学部はいらない。何故ってアベノミクスは単に円札を刷っただけ、すると多いものは安くなる。例えばキャビア、トリフ、フォアグラが世界に溢れれば納豆を買う値段で口にすることができる。よって円の増発は円安になる。するとクリンナップ(野球の3・4・5番打者)トヨタ、ホンダ、パナソニックが活気づく。すると円安は韓国ウォン高となるから現代(ヒョンダイ)、サムスン、LG電子が低空飛行になった。単に紙にインクで円札を刷る事をしなかったから四半世紀も低迷した。小学生でも分かる理屈、大学にいかなくても分かる。
 逆転の発想でいえば舛添パパはある日家族を集めていいました。
「私は東京都民を第一に考える職についた。よってこれからは家族は二の次、三の次になる」と宣言し上杉鷹山は「先ず櫂より始めた」自ら質素倹約に勤めた。その結果、精神科学を起こした。それが都政は更に良くなって
「海外はファースト、ホテルはスイートルーム(会議室と宿泊が一緒にある)でもいいんじゃないですか」といってきても
「いいや都民はまだ貧困に喘いでいる人が多くいる。仁徳天皇が詠んだ『高き屋にのぼりて見れば 煙たつ 民のかまどは にぎはひにけり』仁徳天皇は民は食べているのかと気にかけ高台に昇り夕刻を待った。すると米を焚く煙が各家から昇ってきた。みんな米が食べられるようになってきたと思った。仁徳天皇天皇とは思えないボロ屋に住んで庶民目線で日々の生活を送ったという。だからこそ仁徳天皇の御陵は大きくて立派なのだろう。全ての学問は倫理道徳の上に起きるべきものである。論より証拠、原子力は安価でクリーンなエネルギーだが福島原発アメリカのGE製であった。アメリ原発津波対策ではなくハリケーン対策用である。だから電源が下にあった。津波対策なら電源は上に確保する。それさえしないで東電は想定外といった。それは嘘、想定内である。
 想定外とは想定できる事実を想定しなかった愚か者の怠慢を隠す為の正義ぶった言い訳に過ぎない言葉であっったことが露呈した。福島原発事故は実は人災であった。つまり正義が使えば世の為にはなるが原子爆弾を使えば人の為にもならない。滋養を司る包丁が人殺しの道具にもなる理屈である。これも小学校3年で分かる理屈である。舛添大先生は頭が良いを跳び越えて地をくぐり抜けても安住の地なしとなるだろう。道徳という個人の戒めがなければ倫理という社会の戒めは健全にならない。その範になる行為をするものが長である。
 感を磨くとは変だ。大事なのは何か隠されていると気がつくセンサーに磨きをかけることである。これも又、精神科学の一旦である。

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