続々精神科学を考える。(中国の巻)
最初は一本で終わるつもりだったが3本目になった。何故か発想、着想が湧いてくる。
日本人に最も知られる民間中国人といえば朱建栄だろう。朱建栄とは東洋学園大学教授、
1997年「中国は軍事大国ではない」「天安門事件は解放軍の出動途中に起こった発砲事件に過ぎず、虐殺はなかった」2008年放送の「サンデープロジェクト」では
「中国は変化しており報道規制もなくなりつつある」
「それは日本だけの報道ではなく外国特派員協会も中国の報道規制は異常だとしている。朱さんは中国政府の代弁者です」といっていた。2005年8月15日放送の『日本の、これから』では南京大虐殺論争で日本を非難していた。
これだけ中国の肩を持っているのに2013年7月、朱は上海に行ったとき中共政府に拘束された。
今は日本に戻り又テレビに出ている。そこで二つ言いたい。田嶋陽子、金恩珠、そして朱建栄、ここに挙げた三人は大学教授という肩書きで日本国民を欺きたいテレビ局の思惑でお呼びが掛かるシステムである。朱が日本へ来たときワイドショーが詰めかけ
「一体何の罪で捕縛されたのですか」
「どうして解放されたのですか」
「再び、日本へ来てのテレビ出演は当然、中共に一言半句監視されている筈ですが、そうした状況で大学教授という立場で意見がいえるのですか」
「奥さんは日本人ですが奥さんも中国のスパイ活動をしているのですか」といってマイクを向けなかった。ベッキーの不倫とか清原の覚醒剤といった国にとってどうでもいい事に電波を使っている。世界に200以上の国(国連加盟国は193ヶ国)がある。どこにでも大学はある。ということは教授もいる。
親日国のインド、ベトナム、フィリピン、台湾の教授も当然いるが、何故メディアは金恩珠と朱建栄ばかりなのか。これは平成のミステリーである。ミステリーとホラーがあるところに精神科学は起こらない。何故か因・縁・果の筋が通らないからである。
人事を尽くして天命を待っても地の利と人の輪ができない。それは人事を尽くすとは道路でいえば石や汚物を取り除き、道を平らにしなければ地の利の鋪装はならない。これでは車はがたごと走り、乗客が酔ってしまう。日本のメディアは先刻ご承知でそれをやっているのである。
天も神も信じない。俺は他力を信じない。自力本願(こういう言葉はないが便宜上と他力本願)であるという人がいる。石原慎太郎氏と五木寛之氏は生年月日が同じ1932年9月30日生まれである。だがその人生観は違う。
お二方がある対談で宮本武蔵の話をした。吉岡一門との決闘に向かう宮本武蔵は通りがかった神社で願掛けしようと思ったが、ふと神仏に頼るようではだめだと思い直した。結果的に願掛けをしなかったからかどうかは分からないが宮本武蔵は勝った。果たしてこれは自力か他力か。石原氏は
「自分の力で勝たんが為と自ら思い直した。そのお陰だった」といい。五木氏は違う。
「神頼みではなく自分を頼めとどこからか聞こえてきた。その声なき声こそが他力ではないか」といった。それを聞いた石原氏は
「それも結局、自力なんだよ」と笑った話しがある。
つまり五木さんは石原さんよりスピリチュアルであった。神社の神に向かって「どうぞ、ご加護を与えて下さい」と祈願しようとしたその刹那、武蔵の耳朶に
「お前は神頼みして勝とうというのか」という声が聞こえた。それを石原さんは天の声ではなく己の声、故に自力本願といい。五木さんは自分ではない他の声、それに準じた武蔵は他力で勝ったのだといった。
柳生十兵衛の父柳生宗矩は『われ人に勝つ道を知らず、われに勝つ道を知る』といった。剣の道も突き詰めていくと究極は哲学であり真理でありスピリチュアルである。我に勝つ我は物理的にあり得ない。しかしスピリチュアルの世界ではあり得る。弘法大師空海の足跡を辿るお遍路は同行二人と書いた菅笠を被る。一人で歩くのに二人で歩くと説く、その心は神と共に歩くという意味である。そして1200キロを歩いて達成したとき
「あぁ天のご加護で歩けた」と感謝し自分の足をさする。よく歩いてくてたと語りかける。そのとき初めて足の有り難さを知る。これはさして説明がいらない。日本人なら誰しもが(あぁ私もそうかもしれない)と思う。日本人は唯神論である。だが支那朝鮮は唯物論の国で共産主義国、共産主義はカルト共産教という唯物論で心がない。
「いやあるよ。共産主義は饅頭が9個ある。食べたい人は10人、その場合10人が一割我慢して10人全員が食べられる。どうだ凄いだろう」となる。だが私にいわせればそこが共産主義だろうと民主主義だろうと配る人が嘘をつくのが常で、配る人が最初から
「饅頭は5個しかありません。食べたい人は10人だから二人で半分にして隣の人に別けてください」となる。
そして配る中共幹部は5個を独り占め、だから中共幹部は年収300万円でアメリカに5000億も預金出来るのである。中国人留学生が日本にきてビックリたまげるのは学生の分際でシールズが国会前に来て、太鼓やラッパを鳴らし
「安倍死ね」といっても法政大学教授の山口二郎が国会前デモで公然と
「安倍に言いたい! お前は人間じゃない! 叩き斬ってやる」と豪語しても殺されないどころか逮捕すらされない。彼らが中国へいって
「習陳平に言いたい! お前は人間じゃない! 叩き斬ってやる」といったらその日が命日、何しろ東洋学園大学教授で専門は、中国の政治外交史・現代史に関する研究、東アジアの国際関係に関する研究。日本華人教授会議代表を歴任。頼むから日本人妻と共に中国へ帰ってくれと言いたい男ですら中共政府の癪に障ったのか拘束されたのだ。
ところで青ちゃんの選挙妨害をするために文集は駆けずり回って捏造記事を掲載し刑事告発されたが、鳥越俊太郎はその逆をなして報じる可能性が強いとみる。精神科学は因・縁・果の法則の上で成り立つ自然科学である。言の葉という言論は日本という幹があってこそ棚引く。葉っぱが美しく彩っても幹が無ければ小さな風で飛ばされる。舛添先生も東京を良くしたいといった。しかし誰であっても東京がどうしたら良くなるのかは分からない。しかしみんなと共に考える。その為には兎も角、人々のところへ行くしかない。筑地にも学校にも職場にも行く。何故なら美術館、裸婦像をいくら集めても都民の幸せには繋がらないからである。あぁなんだか鳥越俊太郎氏の天敵、青山繁治こと青ちゃんを想像しているのでこの辺りにしておこう。