日本の道教育、西欧の主義教育
日本の子供教育は自然生えであるとして7歳までは放任した。比し西洋は鞭で叩く教育で、それはユダヤの旧約聖書、キリストの新約聖書での原罪即ちキリスト教で最初の人間アダムが神に叛いて犯した罪。人類は皆アダムの子孫として生まれながらに罪を負っていると考える性悪説である。しかし日本は性善説でこれは文化である。
七五三とは女性より弱い男児は先ず3歳、次が7歳、女児は5歳を厄年とした。つまり身体を作れという情操教育が中心でまず第一に産湯を使うとき、その際ちょうど気持のよい産湯に浸かった子は、その後もお湯に入れると喜んでいる。ところが熱かったり冷たかったりした産湯に入れられた子は後々にも嫌がって泣く。
この世に出て初めての出来事で既にこのように印象づけられている。小さい時に心から愛し、可愛がってくれた人に共通した点のある人は一生好きになり、嫌な不快な感じを与えた人に共通した人は一生嫌いになる。
このように白紙の時に印象づけられた事はその人の性格となって、一生の運命を支配する。この点を日本では昔から「三つ子の魂百まで」と言って色々の工夫がなされている。
女の子が生まれると立派な雛壇をつくって内裏(だいり)様など女の人の理想の姿を並べて、新しい脳裏に染みこませるように飾る。
男の子が生まれると大空に翩翻と翻り踊っている大きな鯉のぼりをあげて、子どもに気魄のある雄大な気分を植え付けている。
しかし最近はだいぶ様子が変ってきた。門松廃止論などを唱えて、正月や祭日などを解消して、日本古来のしきたりを廃らせようとしている一方、西洋から入ってきたクリスマスを祝うようになった。物の入った袋を背中にかついで、乞食然としたサンタクロースというものがやってきて、人が足に履くべき靴下に物を入れ、枕もとにおいて喜ばしている。
いわば、乞食根性を小さい時から染みこませているようなものだ。又その教えたるや右の頬を打たれたら左の頬を出せ式のものだから、教育態度も植民地政策の奴隷教育と一変してきている。
そもそも日本古来から育てあげられたしきたりは、如何なるものが侵入してきても、一歩も引かず、曲ったものはあくまで正し、家庭や、国家を守って微動だにせぬ精神を養成してきた。ところがサンタクロースになってからは、例えば電車で4、5人の外国人が暴れたら全部が縮こまって震えている状態になった。
小さい時からの感化で民族がそれほど変ってくる事が分かる。それを上層部の文化人とか、マスコミの一部の者が、日本のものは全くの時代遅れで封建的だといって、歴史と、しきたりを抹殺しようとしているために、国民が同調して根底からそんなふうになり切ってしまった。
これをみても小さい時の感化、教育が、いかに人間社会に重大な影響を及ぼしているかという事が明らかである。
民族を永遠に繁栄せしめ、他にひけをとらない立派な国にしようとするには、小さい時からの教育、就中(なかんずく)一番大事な事は、妊娠する前の環境であり、その次が胎教、それから赤ん坊の感化の与え方で人格が形成されていく。